18世紀、ドイツ、科学の拡張 Turner, "Prussian Universities," #4

  • Steven Turner, "The Prussian Universities and the Research Imperative, 1806 to 1848" (Ph.D., diss., Princeton University, 1973), 120–127.

 18世紀のあいだに大学での科学教育は拡大した。医学教育は当時の人口増加と、進行中であった知見の革新にともなって勢力を拡張した。フライブルク大学では1700年の段階で医学部に所属する学生は全体の2%だったが、1800年には38%にまで拡大した。新科学の教育も17世紀後半には大学に導入された。たとえばイェーナではボイルの実験が1677年に教えられるようになった。科学教育の基盤は18世紀前半に確固たるものになった。

 科学教育を受けた者向けの職があるわけではなかった。科学を教える教員は医学部の教員を兼ねていることが多かったし、より下級のラテン語学校で教えられる科学はきわめて初歩的であり、専門教育を要求するようなものではなかった。科学教育はもっぱら上級学部に進む者たちのためになされていた。神学部に進む学生は自然誌を学び、医学部に進むものはくわえて化学、生理学を学ぶことが期待された。法学部に進む者も技術官僚となるために、技術教育を受けることがあった。このため大学での科学教育は総論的で基本的なものにとどまっていた。強く実用主義的な傾きをもち、医学部との結びつきが強かった。医学部から独立して、哲学部で専門的な科学教育がなされはじめるのは18世紀の末をまたねばならない。数学教育も建築や測量といった活動との関係で教えられていた。このような技術に重きをおいた教育というのは1720年以前の大学にはほとんどなかったものである。
 科学技術教育の発展と、医学部の拡大は、当時の大学が批判者たちの攻撃とは裏腹に、まさに批判者たちが求めるような改革を行っていたことをしめしている。