線香花火のような人生 村山「儚さと空しさと満たされなさと」

  • 村山達也「儚さと空しさと満たされなさと 人生の意味と死の関係についてのごく部分的な考察」『東北哲学会年報』No. 28、2012年、1–13ページ。

 人生の意味について、儚さという観点から考察した論文を読む。人生が儚く、空しいとは、どういう心情なのだろうか。なにか喜びや充実感を日々感じても、いつか死ぬのだから、喜びは儚い。そんな喜びを多く積み上げられたとしても、人生は儚いと感じてしまう。ここで儚いとは、愛おしかったり素晴らしかったりするものを享受はできるものの、それを味わい尽くすには十分な時間が与えられておらず残念だと思われることを指す。だとすると人生が儚いとは、いろいろな喜びがあっても、やがて死によって生が断ち切られてしまう以上、どう生きたとしても喜びを味わいつくすことはできず、最終的に完全な満足は得られないという心情をあらわしている。このように全体としての充足がないならば、部分の充足に意味はないと感じてしまうのは、私たちが人生をひとつの劇や楽曲のようにとらえることから来ている。これは理解できる考え方ではあるが、錯覚であると著者は考えている。「人生が完全な作品にはならないとしても、それでも人生を喜ばしく生きることはできるのである」(13ページ)。