- Frans van Lunteren, "Geology and Christianity," Isis 109 (2018): 122–26.
ホーイカースの『自然法と神の奇跡』を振り返る論考を読む。この本は、地質学の歴史記述における偏った記述を正すことを狙っていた。伝統的な歴史記述は、斉一説の側に立ってなされてきた。ハットン、プレイフェア、ライエルに代表される立場だ。この立場によると、地球の過去に起きた事象は、現在の事象と同じように説明されねばならない。彼らの標的となったのは激変論者であった。キュビエ、セジウィック、バックランドの立場である。批判者からすると、この立場は過去の事象を、現在の事象とまったく異なるものにしてしまうことで、過去を理解する可能性を閉ざしてしまっているというのだった。
しかし、この対立図は精査には耐えられない。激変論者は、過去において現在と違う自然法則が通用していたと言っていたのだろうか。そうではない。彼らも自然法則が一貫していることは認めていた。彼らが認めなかったのは、その自然法則にしたがって起こる事象の規模や、そのような事象が起こる頻度が、過去から現在にいたるまで一定であるという考え方であった。むしろ彼らは、同じ自然法則に乗っ取りながらも、自然世界の環境は大きく変化すると考えるのである。このような立場から見ると、斉一論者の説明には不備があった。もし過去から未来にいたるまで、起こる事象の規模などが変わらなかったとすると、どうして化石の証拠から、種が大きく交代しながら、しかも交代過程が決して循環せずに、直線的に現代にいたるなどということが起こるだろうか。この点をハットンやライエルはうまく説明できていなかった。
伝統的な説明は、激変論者は聖書の記述を重視する宗教側であり、斉一論者は科学の側に立つように描きだしてきた。しかしこれも歴史の実情と食い違っている。たとえばハットンの斉一説は、明らかに彼の宗教的な信条に裏打ちされていた。またそもそも宗教的な前提が科学の発展とあいいれないわけでもない。キリスト教が有する直線的な歴史の観念は、地球の歴史が(循環せずに)直線的に現代にいたっていると考えるのを容易にした可能性がある。
こうしてホーイカースは、激変論者とキリスト教の信仰の果たした役割を正当に評価するように要求するのだった。
ここまで読むと、ホーイカースの洞察が、近年のマーティン・ラドウィックの研究に引き継がれている事がわかるだろう。実際ラドウィックは、ホーイカースの研究はパイオニア的なものだと認めている。ラドウィックが成し遂げたことをみるならば、それを支えたホーイカースの研究を科学史の古典と認めても問題あるまいと、著者は言うのだった。
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