病気に宿る神的なもの Henry, "Fernel and the Importance of His De abditis causis."

Jean Fernel's On The Hidden Causes of Things: Forms, Souls, And Occult Diseases In Renaissance Medicine (Medieval and Early Modern Science)

Jean Fernel's On The Hidden Causes of Things: Forms, Souls, And Occult Diseases In Renaissance Medicine (Medieval and Early Modern Science)

 16世紀パリの医師であるフェルネルの理論書である『隠れた原因について』の優れた英語訳が近年刊行され、その冒頭にジョン・ヘンリーがかなり長いイントロを寄せています。フェルネルの学説を分析するにあたって、彼にそのような学説を抱かせるに至った動機を追求していくという基本的でありながら実行するのは実はかなり難しいアプローチを採ってそれを成功させています。上質の思想史の見本ですね。

 フェルネルの医学のモットーは「病気の中にはなにか神的なものがある」というヒポクラテス文書から取られた言葉です(『神聖病』21など)。病気は神的とはなにやら奇妙ですね。しかしここがミソです。自然において神的なものとはなにか?それは熱とか冷とかその手の性質ではないし、ましてや質料でもないだろう。それは形相である。形相が神的とは?それは形相が元素の相互作用から生じたりすることは決してなく、むしろ適切に準備された質料にたいして天から与えられるという事実を意味しています。ここからフェルネルが神的という言葉を元素に還元できず天に由来するという意味で用いていることがわかります。

 しかし形相が神的だからと言ってなぜ病気まで神的になるのか?これは病気の原因についてのフェルネルの新しい理解を考慮に入れなければ理解できません。伝統的なガレノス医学では病気というのは個人の体の中の体液のバランスが崩れることで生じると考えられていました(ヒポクラテス文書『人間の本性について』)。しかしとりわけ中世以降はこの理論では説明できないような現象が大問題となっていました。それは伝染病です。もし伝染病が体液バランスの乱れによって起こっているなら、なぜある個人の体液バランスの乱れと同型の体液バランスの乱れが爆発的に広まるのか?この問題を説明するためには伝統的な学説とは違う病理論を打ち出す必要がありました。

 そこでフェルネルが考えたのが、病気とは体液の乱れではなくて、各人が持っている形相が何らかの外的な原因によってダメージを受けた状態であるというものです。この時伝染病とは何らかの外的な原因が外界に充満していることにその原因が求められます。ではこの原因とはどのようなものか?それは間違いなく形相という天に由来する神的なものにダメージを与えることが出来る何かである。フェルネルにとってあらゆる作用というのは同じレベルの事物同士にしか生じないものでした。例えば性質が直接的に作用するのは性質だけだし、形相が直接的に作用するのは形相だけだというように。となると、私たちの形相に作用してダメージを与える病気の原因というのも、やはり天に由来する神的な形相ということになります。ヒポクラテスの言葉はこの意味で理解されなければならないというわけです。