顕名の著者と匿名の査読者 シザール『科学ジャーナルの成立』第3章

 

  • アレックス・シザール『科学ジャーナルの成立』柴田和宏訳、伊藤憲二解説(名古屋大学出版会、2024年)、115–153ページ。

 科学ジャーナルの歴史についての研究書の邦訳が刊行されたので、その第3章「著者と査読者」を読む。

 科学の発展に貢献したかどうかは、何よりも科学論文の執筆者(オーサー)であるかどうかによって判定される。このような考え方は当たり前に思えるかもしれない。しかし実際には、このような考え方が有力になったのは、ある特定の時期の特定の状況の中でのことであった。19世紀前半のイギリスでは、王立協会を改革しようとする動きがあった。改革を主導しようとした人々は、おおよそ次のように考えた。イギリスの王立協会は、フランスのアカデミーと違い、公的な援助を十分に受けられていない。これは、その有用性が十分に認知されていないからである。有用性が認知されるためには、協会の構成員(フェロー)になることが公衆から名誉とされなければならない。しかし現状は、フェローの選出は無計画に行われている。この状態を改善するため、彼らはある人が科学の発展に貢献しているかどうかを、その人がフェローであるかどうかよりも、協会が発行する『フィロソフィカル・トランザクションズ』に論文を寄稿しているかによって判定しようとした。フェローの選出ではなく論文の執筆を、名誉の基準としたわけである。

 このように科学への貢献の基準を論文のオーサーシップによって測ることは、すでにパリやプロイセンで行われていたことであった。このやり方の問題は、科学への貢献が個人によってなされると考えられるようになり、実際に科学の活動に参加しているより多様な種類の人々が見逃されてしまうことにある。たとえば、天文学や光学の分野において器具を作成していた職人たちであった。「科学人が著者になることにで、科学人にとっての一貫したアイデンティティの構築が促進された。だが同時に、さまざまなかたちの活動や共同が、自然哲学者や学者の活動にとっておおくの点で中心的な役割をはたしていたことが、見えづらくなってしまった」(125ページ)。

 同じ頃に査読システムの整備もはじまっていた。イギリスでの最初期の例は、ロンドン地質学会でのものである。協会の初代会長であるジョージ・グリノーは、協会の出版物の出版可否を決める規則を作り出した。これによると、まず投稿物を事務局長が判定し、その後「査読者(レフェリー)」に送られる。最終的に査読者のコメントが評議会に送られ、そこで出版の可否が最終的に決定される。

 査読のシステムが王立協会に入り込んだのは、1830年代のことであった。ウィリアム・ヒューエルは、パリの王立アカデミーでは、投稿された原稿について、委員会が報告し、それが公刊されているということに着目し、同じことを王立協会でもすべきだと提唱した。そのような報告によって「正確に評価されたいという確信からくる、著者にとっての励みと、要旨と批評による、科学情報の拡散の容易さ」が達成されると考えてのことであった(138ページ)。

 以前から専門家による審査システムを求める声はあったものの、実現していなかった。これに対してヒューエルの提案は受け入れられることになる。しかしこのシステムが実際に運用されるようになると、査読者は匿名となり、さらにその役割は著者を励ましたり、情報の拡散を促進したりするというよりも、むしろ出版される論文の質を保って王立協会の権威を守る門番というものになっていった。匿名になったのは、当時の定期刊行物にあったレビューの書き手が匿名であったことをモデルとしていた。査読者は匿名になることにより、偏りのない公的な審査ができるという期待された。しかし一方で、匿名査読は秘密主義であるとする非難も起こった(政府の秘密主義が攻撃されていた時代でもあった)。著者は誰が査読するかもわからないし、査読の報告書を入手することもできない。しかも、査読により刊行が遅れる。遅らせられるだけでなく、その間に査読者が査読している論文と似通った内容の論文を執筆できてしまう、などなどの批判が寄せられた。査読結果に憤り(どうにかして入手した)査読報告を出版するぞと、協会を脅迫する著者も現れた。協会は査読についての内規を整備するとともに、ついに会員数を制限することで、査読の権威を守ろうとした。

 このようにして、顕名の著者(オーサー)、匿名の査読者という体制が整備されていったのだった。著者は次のように結論づけている。

ヴィクトリア朝の科学のなかで、査読者が重要人物として登場したとき、その地位と役割は何度もくりかえし変化した。実際、査読者をおもに門番として見ようとすることで、査読者という読者=批評家が科学の生活のなかではたすと考えられた多様な役割―たとえば、広報係、助言者、統合者、判定者―が見えにくくなってしまう。19世紀中盤までに、査読者は報奨を授与し、科学協会の評判を守る者だと広く理解されるようになった。だが、科学文献全体の門番だとみなされはじめたのは、さらに後の時代のことだ。(152ページ)