デカルトにおける表面の自然学と化体の秘蹟 佐藤「信仰を支える人間的な論拠」

  • 佐藤真人「信仰を支える人間的な論拠 デカルトの「表面」について」『哲学』no. 73、2022年、255–270ページ。

 デカルトの化体(transsubstantiatio)の理論を、彼の自然学で「表面」(superficies)が占める役割から説明する優れた論文を読む。様々な論点が盛り込まれているため、ここでは私が理解できた限りでの論旨をノートに取る。

 デカルトは自分の自然学は、化体をスコラ学の理論よりもうまく説明できると自負していた。スコラ学の理論として、トマス・アクィナスの学説を参照する。ここで注目すべきは、アクィナスもまた、デカルトと同じく表面について論じることで、化体を説明している点である。アクィナスによると、物体の表面とは、物体の偶有性である。さらに表面は、色の基体となっている。この色によって、表面は知覚される。化体では、パンはキリストの身体に変化する。しかし、パンの表面は変化しないために、引き続きパンとして知覚される。

 この説明の難点は、パンの実体がキリストの身体に変化したのに、どうしてその実体の偶有性である表面が変化しないかの説明が困難な点にある。これに対してアクィナスは、神の力を持ち出す。神の力によって、表面という偶有性は、それ自体として存続でき、色の基体であり続けられる。同じく神の力によって、キリストの身体はパンに現前する。こうして、表面の存続と、キリストの身体の現前の2点が、神の力を根拠に説明される。

 この見解に対してデカルトは、化体を経ても表面が存続することは、神の力を持ち出さずとも理解できるという。というのも、物体が実体として変化したとしても、その物体を構成する粒子と、それを取り囲む物体との境界としての表面は変化しないということは、十分考えうるからである。表面が同じであれば、それがどう光を反射し、どのような色のものとして知覚されるかは変化しないのは当然である。これは、デカルトが表面を、ある物体とそれを取り囲む物体の境界としてのみ考えているから可能な理解である。これはアクィナスのように、表面をある物体の偶有性とし、さらにその偶有性が色を支えていると見なすならば、想定できない。

 しかし、物体が変化しても、表面が存続するという主張には、なお理解しがたい点があるかもしれない。この点についての理解を深めるためには、キリストの身体の現前について、デカルトがどう論じているかを見るとよい。デカルトは、キリストの身体の現前が超自然的な仕方で起こることを認める。しかしなお、自らの自然学と関連づけることを行っている。私がパンを食べる。するとパンは粒子に分解され、血液を流れる。しかし、物体として見るならば、これは元の表面を維持している。というのも、粒子の一つ一つとそれを取り囲む物体の境界は、総体としては変化していないからである。ただし同時にパンはある意味で実体変化している。というのも、私の魂がパンの粒子に結合することで、それらは「私の身体」になるからである。これと同じように、聖別の言葉(「これは私の身体である」)によって、キリストの魂がパンに結合することで、それらは「キリストの身体」になる。このパンはたとえちぎられたとしても、それらの粒子の各々にキリストの魂が結合している以上、キリストの身体であり続ける。ここで聖別の言葉がなぜ力を持つのかとか、キリストの魂がどうパンに結合するのかは、説明できない。しかしそれでも、人間の魂が物体に結合するという心身合一と平行させた説明は可能である。

 ここから、化体における表面の存続が理解できる。まず消化においてパンが粒子レベルに分解されたとしても、それらの粒子が元来もっていた表面が失われることはない。それは、たとえそれらの粒子が、私の魂に結合して、「私の身体」となったとしても同じである。同じようにパンも、ちぎられようとも、キリストの魂に結合したとしても、それを構成する粒子が元来もっていた表面を失わない。表面との接触を介して(例えば色や味の)感覚は生じるのだから、このパンを食べると、パンの味がするのは当然である。

 最後に確認しなければならないのは、表面を使った説明を、デカルトは化体の説明に限って用いているのではなく、むしろ表面は彼の光学、宇宙論、人間論、運動論を横断して頻出するテーマであるという点である。この意味で、デカルトの自然学は表面を介して、化体の問題に結びついていると言える。たとえば光学は、表面で光がどれほど屈折するかの研究である。また表面での光の屈折が眼球内で繰りかえされることにより、視覚は生じる。よって、表面の学問である光学と色の知覚は不可分な主題である。だとすると、「(『世界論』で)色について私なりの仕方で述べるつもりでおり、したがって、聖体の秘蹟でパンの白さがいかに残るかを説明しなければならないと思い…」(本論文256ページ)と、デカルトが色の理論から、化体の問題が直ちに説明できると考えているのも、納得がいく。

 以上のように、デカルトは化体の問題を通じて、自らの自然学がキリスト教の教義と合致し、しかも従来のスコラ学よりも奇跡を持ち出さずに説明できる領域を拡大しているということを示そうとした。この試みを可能にしていたのが、彼の表面の自然学であった。

聖書は何に適応しているのか Schlebusch, "Die begrip accommodatio by Wittich"

  • J. A. Schlebusch, "Die begrip accommodatio by Christoph Wittich (1625−1687) en sy Cartesiaans-rasionalistiese omgang met die Bybelse teks," LitNet Akademies Jaargang 18 (2021): 240–258.

 ウィティキウスの「適応」(accommodatio)理論を扱った論文を読む。適応理論の歴史は古い。それはアウグスティヌス以来存在している。しかし、その伝統の単純な延長線上にウィティキウスの理論を位置づけることはできないと著者は指摘する。

 伝統的に適応理論は、神がその神秘を伝えるにあたり、有限で卑小な人間の理解力に適応した語り方を聖書で行ったとしてきた。対して、ウィティキウスが適応について語るときには、そのような人間の理解力にある一般的な弱さへの適応を問題にしているのではない。そうではなく、聖書が書かれた時に想定されていた読み手の側にある認識の不足(ウィティキウスの表現では「偏見 praejudicia」)に、聖書の語り方は適応しているという。それだけでなく、ウィティキウスは聖書の記述は、書き手の偏見も反映しているという。この点でウィティキウスの考えは、聖霊が聖書の書き手すべてを導き、その書かれたのことのすべてを聖霊からの教えとして受け取らなければならないという考えからは離れている。

 以上から分かる通り、伝統的な適応理論が人間の認識能力の一般的な不足への適応について語っていたのに対して、ウィティキウスは特定の時代の大衆や、その大衆に宛てて聖書を書いた書き手の偏見への適応を語っている。

デカルト主義の聖書解釈法 Savini, "Methodus cartesiana ed esegesi biblica"

  • Massimiliano Savini, "Methodus cartesiana ed esegesi biblica: l'apporto di Christoph Wittich alla polemica copernicana in Olanda (1650–1659)," in Studi cartesiani : atti del Seminario Primi lavori cartesiani. incontri e discussioni, Lecce, 27-28 settembre 1999, ed. Fabio A. Sulpizio (Lecce: Milella, 2000), 303–331.

 ウィティキウスの聖書解釈の特徴を、クラウベルクへの依拠のうちに見ようとする重要な論文を読む。

 ウィティキウスをはじめとするデカルト主義者たちは、聖書のうちに天動説を支持するように読める箇所があったときに、次のように論じていた。これらの箇所は大衆の理解力に適応させられる形で書かれている。よって、そこに自然に関する真理を読み取るべきではない。これに対しては保守派の神学者たちから次のような批判がなされていた。デカルト主義者たちは、聖書のうちに理性が教えるところと合致しない記述があれば、それを大衆の理解力に合わせて書かれたものと解釈している。これは、理性に聖書を従わせようとすることに他ならない。

 デカルト主義者たちが聖書の解釈の基準として理性を採用していたということは、今日でも広く受け入れられているように思われる。しかし、著者はこの理解は間違っていると主張する。

 このことを理解するためには、ウィティキウスの聖書解釈が、クラウベルクのデカルト主義論理学に依拠していることを押さえなければならない。クラウベルクは、言葉の解釈の重要性に注意を促していた。まずクラウベルクは、私たちが幼少期に感覚から得られた情報をそのまま信じ、結果として偏見を抱くようになることを確認する。だとすると、論理学はこの偏見にとらわれている私たちの通常の状態に適応したものでなければならない。ここから論理学は大きく2つの目的をもつようになる。一つは、私たちが自分で正しい認識をもてるように、私たちを導くものである。もう一つは、私たちが他人の導きで正しい認識をもてるようにするために、他人の言わんとすることを正確に理解させることである。この後者の目的のために、クラウベルクはある文言を理解するためには、そこで使われている個々の単語の意味を知るだけでなく、誰がその文言を発したのか、それを解釈する者の目的はなにか、それはなんのために発話されているのか、どのような状況でそれは発話されたのか、を知らなければならないとしている。

 このクラウベルクの理論を、ウィティキウスは聖書解釈に適用した。聖書はなんのために書かれたのか。救いを知らせるためである。それは誰に対して書かれたのか。偏見を脱していない大衆のためである。ここから、大衆に救いを知らせるために、聖書は自然に関する記述では、大衆の理解力に適応させられる形で書かれているということが結論できる。これにより、聖書で意味されていることと、それを意味するためのやり方の区別ができるようになる。意味されていることは救いについての教えであり、それを意味するためのやり方として、大衆の理解力に適応させられた表現があるのである。このうち前者だけが、聖書の教えとして尊重されなければならない。

 以上の解釈を導いているのは、あくまで聖書が誰に対して何を伝えようとしたのか、という問いである。ウィティキウスは、聖書を理性に従わせているわけではない。

性を通じて働く権力 中山『フーコー入門』第5章

 

必要があって、フーコーの入門書から『知への意志』を取り上げた箇所を読む。フーコーは19世紀半ばから、社会が有機体的なモデルで理解されるようになるとともに、その社会を支配する新しいタイプの権力である「生-権力」が出現したと考える。この権力の特徴は、性(セクシュアリティ)を通じて働く点にある。

 近代のブルジョワ社会では、性に過敏になるという特徴をもつ。この時代に、人びとは自らの性について、告白をしはじめる。これに伴い、性についての科学が生じる。そこでは、性についての正常と異常の区別が、科学的な真理というお墨付きを与えられる。それにより、人びとが行う性についての告白の内容も、その人についての真理を構成するものと考えられるようになり、性に関する告白を通じて人間のアイデンティティも形成されるようになる。

 性の問題は、個人の問題であるだけでなく、国家の問題にもなった。より強靭な社会を作り出すために、生殖が出生率の問題として管理されるようになる。子を生み・育て、良き市民を輩出しつつ、家庭を維持する役割を担う女性の身体が重要性を帯びる。子どもの自慰や同性愛は、性的な倒錯であり、たとえば自慰は子どもたちから繁殖の能力を奪うとして、厳しく管理された。他にも数多くの性倒錯のカテゴリーがつくりだされ、該当すると認定された者は、医学的な調査の対象となった。このような性をめぐって展開された一連のテクノロジーは、制度、法、道徳、科学、医学的診断といった様々な要素からなる性の装置によって実現可能となっていた。

 性倒錯を危険視する発想は、優良な種としての人種を守るという考えとつながり、ここから近代の人種差別が生まれた。ここでは、国家が医学や生物学を通じて人種を区別し、維持すべき人種の維持に有害とみなされた者を排斥する。

 このように、近代社会は性を通じて、個人のアイデンティの形成を促すとともに、性を通じて種というマクロな単位を生かすことも目指したのであった。

 

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宇宙外の空虚の起源 Grant, Much Ado about Nothing, ch. 5

 

  • Edward Grant, Much Ado about Nothing: Theories of Space and Vacuum from the Middle Ages to the Scientific Revolution (Cambridge: Cambridge University Press, 1981), 105–115.

 前近代の場所と空虚に関する理解についての基本中の基本書から、宇宙外の空虚について論じた箇所を読む。分析の正確さ、表現の的確さ、複雑な流れをまとめる構成の巧みさに、読んでいて幸せな気分になる。まずは、宇宙外の空虚についての議論のルーツを探る章を読む。

 アリストテレスは、『天界について』のなかで「同時にまた明らかなのは天の外には場所も空虚も時間もないということである」としている。アリストテレスによれば、空虚があるためには、そこに物体がある可能性がなければならない。しかし天の外には物体がありえないのだから、空虚もありえない。

 すでにアリストテレス以前に、ピュタゴラス派が宇宙の外側に無限の領域を認めていた。

ある人たちは、たとえばピュタゴラス派やプラトンがそうであるが、無限なるものをそれ自体として存するもの、すなわちそれとは異なる何か別のものに付帯してではなく、まさにそのものとして存する基本存在(実体)だとしている。ただし、ピュタゴラス派の人たちはそれを感覚される事物のうちにあるものとし(というのは、彼らは数というものを事物から切り離すことをしないからであるが)、また宇宙の外側の領域をも無限だとしているのに対して、プラトンは、宇宙の外側には何らの物体も存在せず、また諸イデアも―それらはどこかに存在するというものではないのだから―やはりそこに存在しないとしつつ、しかし感覚される事物のうちにも、かのイデアのうちにも無限なるものがあるとしている。(アリストテレス『自然学』第3巻第4章、203a4–10、内山勝利訳『新版アリストテレス全集』第4巻、岩波書店、2017年、130ページ)

アリストテレスによると、ピュタゴラス派はこの空虚を、無限の気息(プネウマ)ととらえていた(アリストテレス『自然学』第4巻第6章)。またシンプリキオスの『自然学注解』のなかには、ピュタゴラス派のアルキタスが、宇宙の外側に物体の存在しない空虚が際限なく広がっていると論じている箇所が引かれている。

 シンプリキオスの『自然学注解』は中世ヨーロッパでは利用できなかったのに対して、彼の『天界について注解』は利用できた。そこでシンプリキオスは、ストア派が宇宙外に空虚を認めていたと報告している。

ストア派の人々は宇宙の外側に空虚があると言おうとして、そのことを次のような想定を通じて確証している。すなわち、恒星天球の縁に誰かが立って手を上に伸ばすとしよう、と彼らは言う。もし伸ばす[ことができる]なら、宇宙の外に何かその人がその中に手を伸ばしたところのものがあることがわかる。だが伸ばすことができないなら、そのことによっても、手を伸ばすことを妨げるものが何か外にあることになる。さらにもしさらにそのものの限界に立って手を伸ばす場合にも問いは同様になろう。それの外にも何らかの存在があることが示されることになるだろうからである。(シンプリキオス『アリストテレス天界について注解』284–285;SVF2:535、山口義久訳『初期ストア派断片集』第3巻、京都大学学術出版会、2002年、16–17ページ)

ストア派は、この宇宙外の空虚は無限であると考えていた(SVF2.535b)。

 宇宙外の無限の空虚についての以上の議論は、自然学的なものであり、ユークリッド幾何学的な空間を、この世界に適用した結果ではないということに注意が必要である。

 宇宙外の無限の空虚が中世で議論になったのは、1277年の禁令以降であった。禁令では、神の絶対的な力を制限するかに思えるような命題が断罪されている。その中には、次のようなものがあった。

第一原因は多数の世界を造ることはできない。(八木雄二、矢玉俊彦訳『中世思想原典集成』第13巻、平凡社、1993年、655ページ)

神は直線運動によって天を動かすことはできない。その理由は、直線的に動かすとすると、[動かした後に]空虚を残すことになるからである。(659ページ)

神が多数の世界をつくるなら、世界と世界を隔てる空虚がなければならない。神が世界を直線的に動かすなら、それは空虚を後に残し、かつては空虚であった場所に行くのでなければならない。こうして、神の無限の力によって〜が実現されたならば、という形で、宇宙外の空虚について論じることが行われるようになった。

 中世で宇宙論的な空虚が論じられたもう一つの文脈は、世界の永遠性と関係していた。アリストテレスは、『天界について』で次のように論じていた。

だがあらゆるものに生成があるわけではなく、いかなるものにも絶対的な意味での生成はないということは以前に論じられたところからして明らかである。すなわち[物体とは]個別された空虚もありうるのでなければ、いかなる物体の生成もありえない。今から生成するものがもし生成するとしたらそこに生じるであろう場所には、それ以前はいかなる物体もないのだから、必然的に空虚がある。或る物体が別の物体から、たとえば空気から火が、生成することは可能だが、しかし先在する他のいかなる大きさからでもないというのはまったく不可能である。(アリストテレス『天界について』第3巻第2章301b31–302a9、山田道夫訳『新版アリストテレス全集』第5巻、岩波書店、2013年、155–156ページ)

ここから、もし無からの生成があるなら、それ以前には空虚がなければならないという議論が取り出せる。これをアヴェロエスは世界の生成と結びつけた。もし世界が無から創造されたならば、それ以前には空虚がなければならない。アリストテレスアヴェロエスにしてみれば、空虚がありえないのだから、無からの創造(「絶対的な意味での生成」)はありえないのだった。

 中世で無からの創造を否定するのは難しかった。同時に、創造前の空虚を認めることも簡単ではなかった。1277年の禁令は次の命題を断罪している。

世界が全体的に産出されるとすると、空虚があることになる。なぜなら、場所は場所の内に生み出されるものに必然的に先立ち、また世界が全体的に産出されるとすると、世界が産出される前に、置かれているものが何もない場所、つまり空虚があったことになるからである。(673ページ)

創造前の空虚が警戒されたのは、それが神から独立に永遠に存在するものとみなされかねないからである。ここから、創造前の空虚がなくても神は世界を創造できるという学説が唱えられた。この学説はとりわけ13世紀に広く支持された。

 しかし14世紀に入ると、創造前の空虚を、なんらかのかたちで神自身と結びつける解釈が現れる。確かにこのように解釈しなければ、永遠なるものを認めることはできないだろう。このように創造前の空虚が神と関連させられるようになると、この問題は神の場所という論点とつながりをもつようになる。神は遍在すると考えられていた。だとすると、創造前にはどこにいたのだろうか。

 神の場所についての議論の基本的な枠組みは、ユダヤキリスト教の伝統によって与えられた。アレクサンドリアフィロンは、神を場所と同一視している。

[神は]如何なるものによっても包括されないだけでなく、あらゆる万物が逃げ込む地である。何故なら、この方は自らを受け入れる自らの場であり、また自らによってのみ満たすからである。さて、私[フィロン]は場所ではなくて、場所の中にいるのであって、[他の]各々の事物も同様である。もちろん、包括されるものは、包括するものから区別される。しかし、何ものによっても包括されない神的なものは、必然的に自ら自身の場所なのである。(フィロン『夢』1.63–64、津田謙治訳『神と場所』知泉書館、2021年、35ページ)

以後のラビ文献でも、神は世界の場所だと述べられている。

 初期のラテン教父も神の場所についてある程度論じているものの、この問題について深く考察していた様子は見られない。にもかかわらず、教父たちのそれ自体としては簡潔極まりない言明が、後の時代にはこの問題についての重要な典拠として引かれるようになる。

 とりわけ重視されたのがアウグスティヌスの言明であった。アウグスティヌスは、天地が創造される前に、神は「自らのうちに」いたと主張していた。この主張により彼は、宇宙外の空虚の存在を否定していた。しかし彼の言明は、宇宙外の空虚を拒絶するためだけでなく、それを正当化する論拠としても用いられるようになる。

 またアウグスティヌスは、『神の国』第11巻第5章で、神を創造者と考える「かれら」[プラトン主義者たちのこと]について、次のように述べている。

それらの人びとは神の実体もある場所に制限することもなく、限定することもなく、またひろがらせることもなく、神について考えることがふさわしいように、神の実体は、非物体的なものではあるが、いたるところに全体として現存することを認めながら、神の実体は世界以外のあのような広大な空間には存在せずに、ただ一つの、かの無限の空間に比べるとじつに狭小な場所に、すなわち、世界がある場所にあるにあるというのであろうか。わたしが、かれらがこのような空言を弄するだろうとは思わない。(アウグスティヌス神の国』第11巻第5章、服部英次郎訳、岩波文庫、1983年、第3巻、20ページ)

無限の空間があるならば、そこにも神(ないしなんらかの霊)がいるはずだという考えを、アウグスティヌスは『アスクレピオス』から取ったのかもしれない。『アスクレピオス』は空虚の存在こそ否定されているものの、もし宇宙外に空虚があるならば、そこは知性的な諸事物(intellegibilium rerum)によって満たされているはずだ、としている(第33節)。ここから、宇宙外にある空間は物質ではなく霊的なものによって満ちているという考えが生まれたのかもしれない。

 最後に、神の場所の問題は、ペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』第1区分第37章でも取り上げられている。ロンバルドゥスは、「いかなる仕方で、神は事物のうちにあると言われるか」を問題にしている。この箇所が、神の場所についての議論の出発点となった。

ウォルスティウスとゴルラエウス Lüthy, David Gorlæus, 3.10

  • Christoph Lüthy, David Gorlæus (1591–1612): An Enigmatic Figure in the History of Philosophy and Science (Amsterdam: Amsterdam Amsterdam University Press, 2012), 119–122.

 

 

 ゴルラエウスと、神学者コンラッド・ウォルスティウスの関係について論じた箇所を読む。非常に駆け足でウォルスティウスの学説を紹介しているため、厳密に彼の論理をたどるのが難しい論述になっている。

 1641年にギスベルトゥス・ヴォエティウスは、ゴルラエウスの哲学を、ニコラウス・タウレルスとコンラッド・ウォルスティウスと結びつけていた。より正確には、ゴルラエウスが、人間は偶有性によって一つであるという見解をタウレルスから学んだとしたうえで、タウレルスをハイデルベルク神学者たちが、彼らがウォルスティウスを批判する文書のなかで無神論者と呼んだことに触れていた。

 ではゴルラエウスの哲学と、ウォルスティウスの神学のつながりはなんなのだろうか。ウォルスティウスの学説のうちで断罪されたものは、大きく分けて2つに分かれる。一つはキリストの地位を神にたいして相対的に下げるものであり、これはソッツィーニ主義との批判を招いた。もう一つは、予定に関するものである。ウォルスティウスによれば、神の正義というのはその本質を形成していない。そのため信仰というものを、神が罪を許してくれたことを信じることとして理解するのはあやまっている。なぜなら、罪を正義にしたがって許すというのは、神の本質には属さないからである。ここから、人間と神の関係というのは、改革派の正統派が考えるよりも遥かに開かれたものになる。というのも、神の本質に正義にしたがって罰するということが属さず、それゆえ人間の本質にも罰される(あるいは救済される)ということが属さないならば、人間がこの世界で行うこと次第で、神から許されるということがありうるからである。

 しかし、このように個人の行いによって許される可能性が開かれるとすると、神が全知であり、永遠の昔からすべてを予見していたという教義と衝突しないだろうか。この点に関してウォルスティウスは、神というものは時間のうちで変化しうると考えた。神が心変わりした事例は大量に聖書に記されているではないか。

 こうして、神による(救いや罰に関する)決定というのは、その本質からは分離され、神にとっては偶有的なものになる。よって、決定を下す意志は変わりうる。また、神はこの地上にその本質でもって遍在しているわけではない。そうではなくその活動によっていたるところにいるのみである。また神にとって永遠性というのは、分割不可能な総体ではなく、過去、現在、未来へと続く継続である。神は未来の出来事を、過去の出来事のようには知らない。彼はすべてを一挙に直観するのではなく、一つ一つのことを人間のように順番に考えることができる。よって、彼の自由意志に依存する決定というのは、永遠の昔から決まっていたわけではない。

 このように考えるなかで、ウォルスティウスは神を他の存在ensと同じように考えることで、神を物質化しているという批判を招いた。イングランドからは、ウォルスティウスの異端によれば、「神は本質的に広大ではなく、端的に無限でもない。そうではなく神はquantum(量的なもの)であり、有限であり、ある場所におり、ある仕方では物体的であり、ほぼ質料と物質からなっている」という。

 ウォルスティウスの神学からゴルラエウスは何を学んだのか。まず他の事物と同じような存在(ens)として神を理解する点を学んだと思われる。ゴルラエウスも哲学というものを、存在に関する知識と定義していた。またゴルラエウスが第一哲学を、自然学、天使学、神智学に分け、最後の部門を「神の本性とその属性」であると呼んだことにもウォルスティウスの依拠が現れている。というのも、これはまさにウォルスティウスの著作名であったからである。

タウレルスの神学的原子論 Lüthy, David Gorlæus, 3.11

  • Christoph Lüthy, David Gorlæus (1591–1612): An Enigmatic Figure in the History of Philosophy and Science (Amsterdam: Amsterdam Amsterdam University Press, 2012), 122–129.

 

 

 ゴルラエウスの原子論の出所を、ドイツの哲学者ニコラウス・タウレルスに探った箇所を読む。タウレルスはチュービンゲンでヤーコプ・シェキウスのもとで哲学を学び、その後神学に向かったが、最終的に医学の学位をバーゼル大学で取得した。1580年にアルトドルフ大学に着任し、そこで自然哲学を教えて生涯を終える。彼は自分をキリスト教哲学者と自称し、プロテンタント神学の土台を提供するような哲学を構築しようとしていた。そのために彼は存在論に向かう。存在について、とりわけ神の存在について、形而上学的な定義を与えることによってはじめて、神学上の難問を解消することができると考えたからである。

 彼によれば、存在(ens)と存在する(existere)とは同じことである。そして存在するものというのは、単一のものとして存在していなければならない。そうすると、存在するものが多数集まってできたものは、決してそれ自体として単一のものにはならない。それは、むしろ変化しない単一な存在たちが集まってできたものとなる。

 この主張は、神に適用される。神は存在の中の存在なのだから、存在がもつあらゆる性質をもたねばならない。そうすると、神は延長という量を持たなければならない。こうすることで、神の遍在、予知、その意志の変化の可能性といった難問を解決することができるという。たとえば、神を限定された量と理解することで、神の本質を一つの場所に限定することができ、それにより地上の出来事、たとえば聖餐や人間の行為から切り離すことができる(後者により自由意志を確保できる)。

 タウレルス本人を原子論者とみなすことができるかというと、一定の留保をつけながら肯定することができる。なるほど彼は原子の存在をどこでも証明はしていない。それを証明すると予告した著作は書き上げられなかったか、失われてしまったかして、出版されなかった。ただ、すべての存在は単一性をもつ素材であり、すべての複合体はこの単一な存在がつくる集合体であり、しかもこの存在に無限分割可能性を認めることはできないとし、さらにはその存在を原子と呼ぶことがあることを考えれば、彼が原子者であると結論してよいだろう。ただタウレルスは古代の原子論者は批判していた。彼の原子論は古代の原子論の復興ではなく、プロテスタント神学の要請に答えるためのものであった。

 ゴルラエウスはどうやってタウレルスの著作を知ったのか。彼がフラネカーで受けていた、デ・ヴェノの講義のなかではタウレルスがしばしば言及されていた。タウレルスはすでにハイデルベルク神学者たちにより、ウォルスティウスの着想の源泉だと指摘されていた。そしてフラネカーには、ウォルスティウスの弟子が多く存在していた。こういうことから、ゴルラエウスはウォルスティウスの背後にいると考えられたタウレルスの著作に手を伸ばしたのではないだろうか。その結果として、タウレルスから神学と哲学の全体を存在論から引き出すという着想を学び、またその存在論を原子論とすることを学んだのではないだろうか。