ホメロスの人々 ウィリアムズ『恥と運命の倫理学』第2章

 

 本書の第2章「行為者性のいくつかの中心」で、著者はホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』を取り上げ、主としてブルーノ・スネルの見解に反論している。スネルの『精神の発見』やドッズの『ギリシァ人と非理性』と同じく、最高水準の古典研究の面白さを味わうことができる。引用も選び抜かれており、一個の文学作品のようだ。

 スネルによれば、ホメロス叙事詩の登場人物たちは、意思決定をし、行為することをしない。それは、ホメロスの登場人物たちには、意思決定をする単一の自己というものを持たないからだという。スネルの主張では、ホメロスの登場人物たちは、一つの身体と魂をもつのではなく、多くの身体的部位と多くの心的部分を持っていた。著者によると、このスネルの理解は、人間が身体と魂からなるという二元論があるべき理解だという前提にたち、その二元論の枠組みに無理にホメロスを当てはめて理解しようとしたことから生じている。

 著者はむしろ、ホメロス叙事詩で、一人の一人の人間が、まさに他ならぬその人として理解されているという事態を見て取るべきだという。例えば著者は、イリアスの第24歌405–407行を引いて反論する。

倅はまだ

船の傍にいるのか、あるいは既にアキレウスが、

遺体の手足をばらばらに切り離して、自分の飼犬どもに与えたのか。(28–29ページ)

ここではヘクトル(倅)は、その遺体がバラバラにされて、犬に与えられていなければ、まだ船の傍にいるとされている。つまり、そのような遺体はヘクトルその人であり、ヘクトルその人として統一体として理解されている。同じように著者は、叙事詩のなかで登場人物たちが思いにふけったり、別れを惜しんだりするという事実を挙げて、やはりここでも人物たちは一人の人物として何らかの思いをもっていると指摘する。

 次に著者は、ホメロスの人物たちが意思決定をしないとするもう一つの根拠として、それらの人物たちは意志なるものを欠いているというスネルの主張を検討する。なぜ意志による決定を行わないとされるかといえば、決定は神が行うからであるとされる。これに対して著者は、まずホメロスの人物たちが複数の選択肢のあいだから何かを選ぶときに、神が介入しないことも多々あると指摘する。その時人物たちは単に自分で選ぶ。

 さらに著者は、神が介入するときであっても、神は人間を操って何かを行わせるわけではないと指摘する。例として著者は『イリアス』の冒頭で、アキレウスアガメムノンを殺すか否かを迷った際に、アテネが介入したシーンを挙げる。そこでアテネは、アキレウスアガメムノンを殺すべきではないという理由になる事柄を告げるだけであり、その理由を理解して実際にアガメムノンを殺さない選択をするのは、アキレウス自身である。

 最後に著者は、『イリアス』の人物も意思決定すると言えるのは、神々が明らかに意思決定しているからだと論じる。神々は擬人化されているのだから、これは人間も意思決定すると考えられていた証拠となる。

 著者はまた、神の介入があるということと、人間が意思決定をするということが必ずしも相反しないことを、『オデュッセイア』にある表現から示す。『オデュッセイア』には、ある人物が何かを行ったことについて、その人物が「それをその人物の気持ちにしたがって行ったのか、それとも神に促されて行ったのかはわからないが」という表現がある。これを著者は、次のように解釈する。ある人物が何かを当人の気持ちに従って行ったというのは、その人物がなぜ他ではなくその行為を行ったのかの理由をはっきりと与えられる場合を指している。これにたいして、ある人物が何かを神に促されて行ったというのは、その人物がそれを行う理由は確かにあったが、しかし他のことを行う理由も同時にあり、そのような状態でどうしてある行為を行う理由が別の理由に優越したのかが本人もよく分からない場合を指している。このように、人間が当人にもよく分からない過程を経て、何かを行ってしまうときに、その隠された原因として神々が引き合いに出されていると著者は論じる。

 以上から分かるように、神々の人間に対する介入は、なんらかの欲求なり目的なりをもった人間が、熟慮の上で行為を決定するという前提のもとで理解されていると著者はいう。

 続いて著者は、ホメロスの人物たちは単に意思決定するだけでなく、意志をもって努力することもしていると指摘する。とりわけ著者は自己抑制の努力を取り上げる。『オデッセイア』では、オデュッセイアが、賢慮に基づいて正しいと判断したことを行うために、したいと考えることをしない苦しみに耐えるシーンが描かれる。まさにこの点において、オデュッセウスの描写する2つの典型的表現、すなわち「我慢強さ」と「知恵豊かな」は結びつくという。また『イリアス』ではプリアモスヘクトルの遺体を取り戻すために、アキレウスの前に、憎しみと恐怖に耐えて現れる。

 以上から著者は結論づける。

そうすると結局のところ、欠けているものは何なのだろうか。進歩主義者が欠如しているとみなした「意志」とは何なのだろう。ここまで来ると私は、彼らの方がそれを説明すべきだと言いたくなる。このホメロス的世界には、人間的な生に必要な行為の基本概念が充分に備わっているのは確かであると少なくとも私には思える。すなわち、熟慮する、結論する、行為する、自分を奮い立たせる、自分自身に何かを強いる、そして耐えるといった能力である。誰がこれ以上のことを要求しうるだろうか。(49ページ)

 

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スピノザによる隠蔽 Van Bunge, "Van Velthuysen, Batelier and Bredenburg on Spinoza's Interpretation of the Scriptures"

  • Wiep van Bunge, "Van Velthuysen, Batelier and Bredenburg on Spinoza's Interpretation of the Scriptures," in L'hérésie spinoziste: La discussion sur le Tractatus theologico-politicus, 1670-1677, et la réception immédiate du spinozisme: Actes du colloque international de Cortona, 10-14 avril 1991, ed.  Paolo Cristofolini (Amsterdam: APA-Holland University Press, 1995), 49–65.

 この論文でVan Bungeは、スピノザの『神学・政治論』の初期の批判者である、フェルトホイゼン、バテリエ、ブレーデンブルクが、スピノザは同書で自身の決定論を隠蔽しつつ前提にしていたと指摘していたことを示している。

 個々の論点のうち興味深いのは、フェルトホイゼンが、聖書が時として大衆の理解に合わせて語るという考えを認めていなかったという指摘である。典拠はフェルトホイゼンの1655年のパンフレットの9ページから10ページにかけてである。以下で読むことができる。

 

Bewys dat het gevoelen van die genen, ... - Lambertus van Velthuysen - Google ブックス

 

 どうやらフェルトホイゼンは、「聖書が時として大衆の理解に合わせて語る」ということを、「聖書の言葉をその状況(omftandicheden. それがいつ、どこで誰によって書かれたか)を含めて考慮した時に、聖書が大衆が理解している事柄を真実として述べたり、教えたり、同意したり、否定したりする」と理解した上で、そのようなことはないと否定しているようである。このことをフェルトホイゼンは、聖書が家畜に知識や希望や期待を帰していることを例に説明する。確かに大衆は家畜の外的な行動を見て、それが一定程度人間の外的行動と類似していることから、家畜にも人間と同じような知識や希望や期待があると考えている。しかし聖書の場合、その状況を考慮するなら、単に家畜が人間と類似した外的な行動を行っていると述べているだけで、家畜に知識や希望や期待があるということを教えたり、同意していたり、否定していたりするのではないことが分かるのだという(フェルトホイゼンはデカルト主義者で、家畜を機械と見なしている)。

スピノザはその哲学を公表するべきだったのか? Garber, "Should Spinoza Have Published His Philosophy?"

 

  • Daniel Garber, "Should Spinoza Have Published His Philosophy?," in Interpreting Spinoza: Critical Essays, ed. Charlie Huenemann (Cambridge: Cambridge University Press, 2018), 166–187.

 この論文でDaniel Garberは、スピノザが認めた言論の自由の範囲に照らすならば、彼は彼の哲学書(『神学・政治論』と『エチカ』)を出版するべきではなかったと主張している。『神学・政治論』で示された普遍的信仰の教義は、『エチカ』に照らすならば偽である。このような認識が得られたとしても、それを得た人が『エチカ』の哲学を完全に理解した人であれば、その哲学に基づいて人々と調和して生きることができるので問題ない。しかし『エチカ』をまだ完全に理解していない人であれば、普遍的信仰の教義は偽であると分かりながらも、『エチカ』の哲学に従って生きることはできないかもしれない。世界は部分的にしか理性的でない人々に締められているため、スピノザの哲学の出版は社会を不安定にする。このような意見の公表は行うべきではないと『神学・政治論』ではされている。

スピノザによる1673年のユトレヒト訪問 Gootjes, "Spinoza between French Libertines and Dutch Cartesians"

 この論文でAlbert Gootjesは、フランス占領下のユトレヒト訪問への1673年のスピノザによる訪問について、次のことを示している。

 スピノザユトレヒト訪問は、ストゥープによって主導されたものである。ストゥープは、ユトレヒト在住のデカルト主義者であるグラエヴィウスとフェルトホイゼンと交流を深める中で、スピノザの哲学への関心を深めた。そうしてスピノザを招くために(グラエヴィウスの勧めに従って)コンデ公から招待状を獲得し、スピノザユトレヒトへ招いた。スピノザの側は、コンデ公を通じて『神学・政治論』をフランスでも普及させたいとの思惑から、ユトレヒトに赴いた。

 ユトレヒトへの訪問中、スピノザは結局コンデ公には会えなかったものの、ストゥープやリュクサンブール公爵といったフランス側の人々や、グラエヴィウスとフェルトホイゼンと話をした(またニュースタットとも会っている)。フランス人との食事の席でスピノザは、彼の哲学についてある程度立ち入ったことを述べたことを示す記録がある。またグラエヴィウスとのあいだでは、当時ウィティキウスがライデンで行っていた討論について話していた記録が残っている。

 スピノザの訪問は、これまで彼の親友しか知り得なかった彼の哲学教義について、ユトレヒトの人々が一定程度の知識を持つことを可能にした。これが原因で、1675年8月22日ユトレヒトのワロン教会の長老会が、スピノザが誤ちと無神論を広めることを防ぐように、教会に対する要請を発した可能性がある(長老会はスピノザが著作と会話の両方で不敬虔なことを教えているとしている)。この要請はスピノザが『エチカ』の出版を断念した直接の背景となっている。

 もう一つの結果は、スピノザが訪問後、彼の哲学への反対にもかかわらず、グラエヴィウスとフェルトホイゼンに友好的な態度を示していることである。スピノザデカルト主義者たちを「愚かなデカルト主義者たち」と呼んだことから、彼らの間の対立が強調されてきた。しかし彼らの間には同意できる問題があり(たとえば宗教指導者の権威はどこまで及ぶか)、相互の尊重があった。

信仰の領域と哲学の領域 Pesce, "Il Consensus Veritatis di Christoph Wittich"

  • Mauro Pesce, "Il Consensus Veritatis di Christoph Wittich e la distinzione tra verità scientifica e verità biblica," in L'ermeneutica biblica di Galileo e le due strade della teologia cristiana (Rome: Storia e Letteratura, 2005), 175–195.

 この論文でMauro Pesceは、ウィティキウスが信仰の領域と哲学の領域をどう区別したかを示している。Pesceによると、ウィティキウスはガリレオとは異なり、自然についてだけでなく、道徳的な事柄についても、聖書の記述は哲学による判定を受けなければならないと主張した。それらの事柄についての聖書の記述が哲学によって信頼できないものとされる場合、その記述は偏見に覆われた通俗的な記述とみなされなければならない。そこで、その記述の下に隠された「一般的な真理」が探られなければならない。これを行うのは神学者であり、その際には文脈、言葉の意味、作品の目的が考慮される。

スピノザの聖書学への貢献 Curley, "Spinoza’s Biblical Scholarship"

 

  • Edwin Curley, "Spinoza’s Biblical Scholarship (Chapter 8–10)," in Baruch de Spinoza: Theologisch-politischer Traktat, ed. Otfried Höffe (Tübingen: Akademie Verlag, 2014), 109–126.

 この論文でEdwin Curleyは、スピノザは同時代の学者と比較すると歴史学者として傑出していたわけではないというRichard Popkinの見解に反論している。Curleyによれば、スピノザモーセ五書の著者がモーセであることを、ホッブズやラ・ペイレールには見られない論拠をもって否定した。また、モーセ五書を超えて、他の旧約聖書の文書の著者も伝統的に想定されてきた著者ではないとした。最後に、旧約聖書の歴史書について、現代の聖書学でも用いられる議論(記述の重複や年大学上の問題に着目すること)を用いて論じた。これは彼の先駆者たちがしてこなかったことであるという。

スピノザとヘブライ人国家 Totaro, "Der Theologisch-politische Traktat im Kontext seiner Zeit"

 

  • Pina Totaro, "Der Theologisch-politische Traktat im Kontext seiner Zeit," in Baruch de Spinoza: Theologisch-politischer Traktat, ed. Otfried Höffe (Tübingen: Akademie Verlag, 2014), 227–246.

 この論文でPina Totaroは、スピノザマキャベリの著作を所蔵しており、また『神学・政治論』には、マキャベリ(やホッブズ)のような絶対主義的モデルが現れると主張している。さらにTotaroは、スピノザの『神学・政治論』でのヘブライ人国家をめぐる議論は、それ以前の、とりわけクナエウスの『ヘブライ人国家について』(1617年)に見られるような、古代のヘブライ人国家を現在のオランダ連邦のあいだに類似性を見て取る議論の延長線上にあるとしている。