先日、強姦と強制わいせつの被害件数が増加しているという記事を書きました。
とはいえ、この点に関してはかなりのひっかかりがありました。なぜなら、90年代の半ばに、あるいは2000年ごろに急激に治安が悪化するというような要因が考え付かなかったからです。
そこで今日はてな内部をうろうろしていて、ちょうど問題関心に応えてくれる書籍が出ていることを知りました。
- 作者: 浜井浩一,芹沢一也
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2006/12/13
- メディア: 新書
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目次
- はじめに 浜井浩一
- 終わりに 芹沢一也
- 参考文献
本当に治安は悪化しているのか、強姦されたり、殺害されたりする確率は上がっているのか。このような問題をめぐるさまざまな論点について考察したのが、浜井氏による第1章の「犯罪統計はどのように読むべきか」です。そこで、この論文を簡単に紹介したいと思います。
浜井氏はまず、
- どうして犯罪の認知件数が増加しているのか
- どうして検挙率が下がっているのか
- 人口動態統計から見て、他殺される確率は上昇しているといえるのか
- 犯罪被害調査から見て、犯罪被害率は減少しているのか
といった点を分析します。その上で、次のように結論付けます。
認知件数や検挙率に見られる最近の急激な変化は、一方で警察側の犯罪に対する対応方針の変化や、他方でそれを受けた被害者側の届出行動の積極化によるものもが大きく、そうした影響を受けにくい殺人や傷害致死といった、深刻な結果をもたらすいわゆる凶悪犯罪については、治安の悪化を示すような傾向は認められない。
さらに、そうした傾向は人口動態統計を見ても同様であり、人が他人からの暴力によって命を奪われるリスクは最近10年間で減少傾向にあることが確認された。
また、科学的により妥当性の高い犯罪指標である犯罪被害調査の結果では、犯罪被害率は下降傾向で、警察への通報率のみが上昇している。
客観的統計からは治安悪化はまったく認められない、というのが結論である。(43-44ページ)
上の問題設定に対する浜井氏の結論を簡単にまとめると次のようになります。
- どうして犯罪の認知件数が増加しているのか
→警察が積極的に対応するようになり、被害者も積極的に届け出るようになった。
- どうして検挙率が下がっているのか
→上記認知件数の増加などの原因により、余罪捜査に振り向ける時間や人員が不足した。
- 人口動態統計から見て、他殺される確率は上昇しているといえるのか
→いえない。確率は下降している。大人の場合も子供の場合も。
- 犯罪被害調査から見て、犯罪被害率は上昇しているのか
→していない。下降している。
このあと、少年非行の問題が扱われます。少年非行の問題については、一般的に凶悪化と低年齢化が指摘されています。しかし実際には、非行によって検挙、補導されている少年の全体的な数は減少し、しかも検挙される年齢は高齢化していると浜井氏は論じます。
これはどういうことかというと、かつては非行行動をとっていた少年にしても、ある程度の年齢になれば就職するのがあたりまえであり、そのための受け皿も社会に用意されていたが、産業構造の変化(公共事業の減少など)を原因として、そのような受け皿が消滅したまった。そのため、非行行動から抜け出せない少年が増え、検挙、補導される年齢が高齢化している。このように分析されます。
ここから次のような結論を浜井氏は導きます。
こうした非行の高齢化の原因である若者の雇用問題を放置して、低年齢化・愛国心教育・法教育による規範意識の涵養にばかりに目が向き、正しい施策がとれなければ将来に大きな禍根を残すことになりかねない。(50ページ)
ここから分かるように、日本の治安が悪化しているというのは、実態の把握としては間違っている。それなのにどうして、治安が悪化しているという考えが広まっているのだろうか。浜井氏は続いてこのような問題に取り組みます。
この点について浜井氏が強調するのが、メディアの役割です。
ある事件が起こると、メディアによってそれと同種の事件が大々的に報道されます。しかし、その際にその事件をひき起こした社会的要因などの問題が掘り下げられることはありません。そしてそのような掘り下げが行われたころには、その分析結果は報道されず、注目を集めることがありません。結果として、ある事件が起こると、それに伴い同種の事件が多発しているかのような印象が形成され、治安が悪化しているという雰囲気が作られます。
最後に浜井氏は、現在進行中の厳罰化の問題に取り組みます。浜井氏が注目するのは、犯罪被害者支援です。犯罪被害者の声が、支援者にサポートされ、政治の場に届き、法改正へとつながり、結果として厳罰化が進行していると浜井氏は議論します*1。
以上を踏まえて、現在では治安が悪化しているという誤った印象が広まっており、かつメディアを中心にそのような誤った印象が再生産されるような構造ができあがってしまっていると浜井氏は結論します。
以上が大体のまとめです。
私の考えでは、浜井氏の議論は非常に説得的で、根拠もはっきりと示されたすぐれたもののように思われます。おそらくこのような問題に関心を持っている人にとっては、浜井氏の議論はかなり有名だったのでしょうが、何も知らない私にはとても新鮮でした。
治安が悪化しているという虚像は、昨日紹介した経団連の「希望の国、日本」というビジョンでも、「凶悪な少年犯罪をはじめとする治安水準の低下」という表現を取って現れています(78ページ)。
そして、なによりも安倍総理の所信表明演説では、次のように述べられています。
国民の安全を確保するのは、政府の基本的な責務です。子どもが犠牲となっている凶悪事件や飲酒運転による悲惨な事故が相次いでいます。地域社会との連携の強化や、取締りの徹底などにより、「世界一安全な国、日本」の復活に全力を尽くします*2。
このように政治の中枢に位置する人が、治安問題を語っている現在、浜井氏の論考は誤った現状認識を是正する上で大きな意味を持つことになると思います。
ただ、現状に対する処方箋については、浜井氏は情報提供と警察への信頼回復、および治安悪化の印象を作り出している構造の「絡みを一つ一つほどいていく」というやや不満の残るものしか提言していません。この点がこれから考えられなければならないのでしょう。
なんてまじめに書いてきましたけど、要するに『犯罪不安社会:誰もが「不審者」?』はいい本なので、皆さんご一読を!ってことです。とくに愛国心や公徳心の涵養の根拠を、治安悪化やモラルの低下に置きたい人にとっては、浜井氏の論考は避けて通れないものとなると思います。
はい、長文失礼しました
*1:なお、浜井氏は、犯罪被害者支援の充実が、治安悪化という虚像の形成に寄与していると議論していますが、この点に関しては少し議論が見えにくくなっているような印象を受けました。わからないことは書きたくないので、この点については触れません。
*2:http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2006/09/29syosin.html:tile