「印刷されたもの以外はすべて真実でありうる」 誤報形成のメカニズム

新版 歴史のための弁明 ― 歴史家の仕事

新版 歴史のための弁明 ― 歴史家の仕事

  • マルク・ブロック『新版 歴史のための弁明 歴史家の仕事』松村剛訳、岩波書店、2004年、59–115ページ。

 「批判」と題された第3章はブロックの『歴史のための弁明』のなかでも出色の出来栄えと言えます。そこで彼は17世紀前半以来歴史学が練り上げてきた(懐疑的)批判というメスをいかにふるうかを解説しています。欺瞞、改竄、間違いはいかに生じるか。それらをいかに見抜いて真実と虚偽をふるい分けるかが論じられます。しかもこれらの各論点が豊富で、かつどれも興味深い具体例をもって例証されています。

 なかでも傑出した面白さを誇るのが、第一次世界大戦での塹壕における誤報形成のメカニズムを考察した箇所です(86–88ページ)。当時各国政府が展開していた検閲とプロパガンダは、塹壕では制度設計者の意図とは正反対の帰結をもたらしました。情報を統制することで都合のいい情報だけを人々に信じさせる、などということはぜんぜん起こりませんでした。反対に塹壕の中では新聞の信憑性は地に落ち、「印刷されたもの以外はすべて真実でありうるというのが塹壕で支配的な意見であった」と言われるまでになりました。ここにおいて「口承の驚くべき復活が起こった」。「過ぎ去った時代をとびこえて、各国政府は前線の兵士を新聞やニュース雑誌や書物以前の古い時代の情報手段と精神状態へと連れ戻した」。

 噂が発生するのは炊事場でした。炊事係たちは各前線からやってくる補給係と会話するだけでなく、参謀本部近くに寝泊まりする連帯車両の運転手とも日常的に交流していました。炊事場で炊事係と話した補給係は「前線の最前列まで鍋と情報(本当のものもあれば偽もあるが、いずれにせよたいていの場合は変形され、そこで新たに練り上げられることになる情報)を持って来た」。

 これと似た条件に規定された社会がありました。初期中世です。そこではばらばらな諸集団のあいだの情報の交換は、行商人、大道芸人、巡礼者、乞食たちの仲介によっておこなわれました。その交換の場は市場であるか宗教的な祭祀の場でした。実際、「情報提供者である通りがかりの人々に質問することで作られた修道院年代記は、われわれの炊事係伍長がもしそういう趣味をもっていたらつけられたであろうメモに大いに似ている。こういった社会は誤報にとって、常にすばらしい温床であった。人々の間の頻繁な交流は、多様な話を比較することを容易にし、批判能力を磨く。その逆に、遠い土地の噂を険しい道を通ってまれにしかもたらさない語り手の話は、大いに信じられるのである」。

 ブロックの分析から何も感じないでいられることができるでしょうか。もしできないなら、まさにそのことによりブロックは「歴史が何の役に立つのか説明してよ」という本書冒頭での少年の問いに答えていると言えます。

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  • マルク・ブロック『新版 歴史のための弁明 歴史家の仕事』松村剛訳、岩波書店、2004年、31–58ページ。

 歴史的観察というのはいつも痕跡から出発します。今では知覚できない現象が残した知覚可能な跡を史料として用いるわけです。この痕跡には二種類あります。第一に叙述史料と呼ばれるものがあり、それはたとえばヘロドトスの作品のように以後の世代の読み手に情報を提供するという意図を持って書かれています。第二に貨幣や機密報告文のように歴史の証人となる意図の元に作成されたのではない痕跡群があります。歴史書年代記の見方に束縛され硬直化してしまわないためには、後者の史料から過去が提示しようと思った以上のことを引き出さねばなりません。またたとえ叙述史料を用いる時ですらそこで意図されていること以外の問いを投げかける必要があります。

つまり過去をその痕跡だけで知ることを常に余儀なくされつつも、過去自体がわれわれに知らせてよいと思った以上のことを知ることができるという点で、われわれは少なくとも過去に対する不可避的な従属から解放されたのである。それこそよく考えてみれば、所与に対する知性の大いなる復讐である。(45ページ)

 こうして用いられる史料が多様化する一方で、一人の人間がその解読技術をみにつけることができる史料のタイプというのは限られてきます。このため諸技術を連合させる共同研究が不可欠となります。