機械論

 「最近の哲学者たちはみな、自然学が機械的に(mechanice)に説明させることを望んでいる」というのは、ライプニッツ(1646-1716)の言葉です。こういう言葉から「初期近代に世界観の機械論化が起こった」という有名なテーゼが登場します。この路線の代表的な研究書として、『世界観の機械論化』E. J. Dijksterhuis, The Mechanization of the World Picture, translated from Dutch by C. Dikshoorn, Oxford, Oxford University Press, 1961があります。
 ではこの「機械論」とは何か、ということになると(あまりにしばしば言及される割には)それほど明確ではありません(上のDijksterhuisの研究書も、僕が確認した限りでは、それほど明示的な定義を与えていることはないようです)。
 手元にある『岩波哲学・思想事典』の「機械論」の項目(横山雅彦執筆)によると、機械論には広い意味の機械論と狭い意味の機械論があるとのことです。広い意味の機械論は、物質とその運動だけを前提条件としてすべての自然現象を説明しようという見解で、広い意味での機械論には、ニュートン(1642-1727)の『プリンキピア』(初版1687年、第2版1713年、第3版1726年)のように慣性の概念のほかに物質間の遠隔力(例えば万有引力)をも前提とするものが含まれることになるそうです。
 また歴史的には「機械論哲学mechanical physophy」という言葉がありますが、これはロバート・ボイル(1627-1691)がAbout the Excellency and Grounds of the Mechanical Philosophy (1674)という著作の中で用いたのが初出です(たぶん)。