ストア派の自然学 - Currieの博士論文

  • 「初期ストア派自然学での神と質料」 Bethia S. Currie,“God and Matter in Early Stoic Physics” (Ph.D. diss., New School for Social Research, 1971).

 読みました。いろいろと勉強になります。宇宙の発生論や大燃焼論についても詳しく書いてあります。

 ただ気になる点も。たとえばCurrieは次のように述べます。

 Alexander of Aphrodisias reports a Stoic belief that the quality is pneuma in a certain disposition, or matter is pneuma disposed in a certain way. This is a rather startling equation, since it implies that there is only one underlying something, namely pneuma, and that both the acting and the suffering are aspects of it. (132-133)

 (アフロディシアスのアレクサンドロスは次のようなストア派の考えを報告している。

 すなわち、性質とは一定の配置をとったプネウマである。あるいは質料とは一定の方法で配置されたプネウマである、という考えである。

 これはかなり驚くべき同一視である。なぜならこのように〔性質とプネウマ、あるいは質料とプネウマを〕同一視することは、基礎をなす何か唯一のもの、すなわちプネウマしか存在せず、作用するものも作用を受けるものもこのプネウマのあり方であるということを示唆するからである。)〔強調引用者〕

 ここでCurrieが依拠しているアレクサンドロスの文章は以下の通り。

 〔基体のうちにあるものの定義にしたがえば、〕性質があるあり方の気息であるとか、あるあるあり方の質料であるとかいうことは否定されることになるだろう。(SVF, 2.379)

 Currieはこの文章から、質料がプネウマだと結論づけることが可能だと述べています。しかしアレクサンドロスは質料がプネウマであるとは書いていません。上記の訳は『初期ストア派断片集』から引いたものですけど、元のギリシア語と比べても訳に問題があるようには思えません。

 このアレクサンドロスの文章は、Currieによる「クリュシッポスは質料を神の統括的部分の一定のあり方とみなした」という主張を支えています。というわけで、もしこの文章の解釈がおかしくなるとCurrieが論じている前期クリュシッポスとか後期クリュシッポスとかすべて怪しくなるのでは。

 他にも個人的に気になる解釈がいくつか。それらの点についてはSamburskyやHahmの著作と比較して判断しないといけません。