formativa という単語はイブン・シーナーの『医学典範』のラテン語訳に使われているし,アルベルトゥス・マグヌスも用いています.
ではケプラー,デ・ボート,ドゥ・クラーヴらが使う formatrix というタームはどこから来たのか.
まず1557年にスカリゲルが用いています.しかしスカリゲルは formatrix という単語を先行する学説を批判するときに用いているので,おそらく彼以前に使用していた人がいます.
で,さらにずっと遡ってフィチーノの『プラトン神学』(1482年)の中で formatrix という単語が14回用いられています.主として人間の魂が formatrix と言われています.その他には神が原初に virtus formatrix を世界にばらまいたとも(デ・ボートのソース?).
というわけで,今まで確認した中では formatrix forma, formatrix virturs などの単語の一番古い用例はフィチーノにあるということになります.
じゃあフィチーノがスカリゲルのソースなのか,というと….うーん.スカリゲルが批判する学説に近いことをフィチーノが述べていることは確かです.フィチーノは人間の魂が体に宿る前に,種子の中に存在する virtus formatrix が体を構成する必要があると述べています.これは後にスカリゲルが批判する学説と近い.
だから少なくとも間接的にフィチーノの学説がスカリゲルの論述に反映され,ゼンネルトを通してライプニッツにまで伝わったとは言えそうです.
しかし私の直感ではフィチーノとスカリゲルの間に誰かいそうなのです.たとえばスカリゲルと違ってフィチーノは formare と informare の対比を用いていません.では誰が間にくるのか?フェルネルと答えられると一番クリアーなのですけど,そうではないようです(ただまだ『生理学』を調べていません).
ここで今のところ止まっています.スカリゲルの前と後でひとつずつピースが欠けている感じです.でも時間がないので残念ながらここでいったんまとめるしかないかもしれません.
とりあえずあとは
- フィチーノ,『3重の生』
- フェルネル,『生理学』
- トマス・モア,Enchiridion Metaphysicum
を見たら調査は打ち止めかな….Zimara を調べられなかったな.