ケプラーについていくつかの研究を読みました。
Kepler's Geometrical Cosmology (Bloomsbury Academic Collections: Philosophy)
- 作者: J. V. Field
- 出版社/メーカー: Athlone Press
- 発売日: 2000/12
- メディア: ハードカバー
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最初に出たのは1988年です。よく引用される研究なのに、読んでみるといまいちでした。いや、というか天文学についての専門的な記述が分からないから結構読んでいてつらい…。それはともかく、ケプラーとプラトンを直接比較するというのは、安直だと思います。プロクロスによる『原論注解』や、クザーヌスの影響をたどる方が生産的じゃないかなぁ。特にプロクロスとケプラーというのは、誰もやっていないならやってみたいところではあります。ところで、先日の科学史学会では、東海大学の東慎一郎氏が、ピッコローミニによるプロクロスの誤読というテーマで発表されていました。
- 「惑星の運動に関するケプラーの法則:1609年から1666年まで」 J. L. Russell, “Kepler’s Laws of Planetary Motion: 1609-1666”, The British Journal for the History of Science 2 (1964), 1-24.
- 「イングランドでのケプラー:1599年から1687年までのイングランドでのケプラー天文学の受容」 Wilbur Applebaum, "Kepler in England: The Reception of Keplerian Astronomy in England", Ph.D. diss., State University of New York at Buffalo, 1969.
こちらはケプラーの受容に関する古めの論文。Russellのものは、特に地域を限定せずに、ドイツ、オランダ、イングランド、フランス、イタリアでのケプラーの受容を網羅的に扱った論文。今でもケプラーの受容については標準的な論文なのだと思います。
二番目のApplebaumのものは69年に出された博士論文で、こちらは地域をイングランドに限定しています。とはいっても、ちょくちょくフランス人の話も出てきたりします。フックやニュートンに関する記述には特に目新しい点はないものの、前半から中盤にかけてはあまり知られていない学者や、当時の暦を取り上げていて、少なくなくとも調査結果としては便利な仕上がりです。
二つの論文とも、基本的な論点は同じ。ガリレオやデカルトがケプラーをあまり取り上げなかった(デカルトは読んでいなかった可能性が高い)ため、従来ケプラーはニュートン以前は忘れ去られていたと考えられていた。しかし、実際に当時の天文学に関する文献を調べてみると、ニュートン以前にもケプラーが広く読まれ、さらには広く受容されたいたことが分かる。基本的な論はこれに尽きます。
ケプラーの天文学が受容される際に最大の障害となったのは、惑星が楕円軌道を描くという考えでした。これは数学的に処理することが困難であるだけでなく、天体は円軌道を描くという伝統的な考えを否定するので、コペルニクス主義者といえども受け入れるのは難しかったようです。まあ、なかにはティコの説をとりつつ、楕円軌道を採用したモランのような人もいるわけですが。
RussellもApplebaumもケプラーの学説が最終的に受け入れられるようになったのは、彼が出した『ルドルフ表』が非常によくできていたからと論じています。『ルドルフ表』は印刷ミスが多かったり、対数が使われていたりで、扱いにくいものでした。だから最初はそれほど歓迎されなかったようです。しかし、最終的に他の表とくらべて優位であることが明らかとなり、結果としてケプラーの天文学の受容を促進することになりました。そういえば、ケプラーの天文学には真っ向から反対してたキルヒャーのような人も、『ルドルフ表』は素晴らしいと書いていました。私が修士論文で取り上げたガッサンディは、書簡の中で、自分が持っている表は『ルドルフ表』だけと書いています。
この他に興味深い論点といえば、デカルトの『哲学原理』以降、デカルトとケプラーの理論を組み合わせて、惑星の運行を説明する議論が広く行われていたという点です。Applebaumは、Giovanni Alfonso Borelli, Thomas Streete, Vincent Wing, 及び初期のニュートンといった人物を挙げています。
これは意外です。だって、ケプラーとデカルトの哲学というのはおよそ相容れないような気が…。ただ確かに両者とも、惑星の運行のためには惑星の運行のために、軌道に対して接線方向の力がはたらく必要があったと考えていた点では共通しています(フックまではこの力が必要だと考えられていました)。そして、二人ともこの力を説明するために、「渦」という単語を用いています。こう考えると、両者がまぜこぜになる可能性は確かにまったくないとはいえなさそうです。しかしそれにしたってねぇ…。
なお、Applebaumは、
- 「ケプラー以後のケプラー天文学:調査と問題」 Wilbur Applebaum, "Keplerian Astronomy after Kepler: Researches and Problems", History of Science 34 (1996), 451-504.
という論文を書いています。96年ということで比較的新しいので、これも確認せねばなりません。しかし、大学がはしかのため週末立ち入り禁止(涙)。
最後にケプラーについては、もう一つ研究書が手元にあります。
あまり引用されているのを見たことがありません。しかし、目次を見る限りではかなりよさそうな研究です。今週はがんばってこれを読もうと思います。ちなみにこの本で検索すると例によってid:Freitagさんの日記(お仕事篇)にぶち当たります!相変わらずエンカウント率高し…*1。
〔追記〕
Applebaumのものと恐ろしく似かよった博士論文があることをたったいま知りました。
- 「イングランドでのケプラーの天文学の受容:1609年から1650年」 "The Reception of Kepler's Astronomy in England, 1609-1650", Ph.D. diss., Oxford University, 1982.(大英図書館情報)
Applebaumの博士論文のタイトルが、「イングランドでのケプラー:1599年から1687年までのイングランドでのケプラー天文学の受容」ですからね。扱っている範囲が、50年ばかり短くなっているだけで、時代的にもテーマ的にも重なっています。イギリスの博士論文だから、図書館に申し込めば大英図書館を通じて取り寄せてはくれるとは思います。どうしたものか。