クインティリアヌス

 やらなければならないものがあるときほど違うことをやってしまいます(涙)。セネカ哲学全集にかこつけて、クインティリアヌスによるセネカ評を訳してみました。
 マルクスファビウスクインティリアヌス(35頃―100頃)というのは、全12巻からなる『弁論家の教育』という本を私たちに残してくれているローマの弁論教師です(他にも作品はあったがすべて散逸しました)。
 この『弁論家の教育』という本は「理想の弁論家を育てることを目標に掲げており、それに必要な修辞学の全項目を教育の順序に沿って記述して」*1いるのですが、その第10巻に、ホメロスからはじまるギリシア、ラテンの作家を論評した有名な箇所があります。今回は彼がセネカについて述べたところから取ってきました。以下長いですが翻訳です。

クインティリアヌス 『弁論家の教育』 10巻1章125節以下

 ここまでであらゆるジャンルの文章について述べたことになるのだが、ここでセネカを最後に扱うのには理由がある。というのも(まったく根も葉もないことなのだが)、私が彼のことをけなしており、あまつさえは親の敵のように憎んでいるのではないかと思っている人が、これまた実に多いのである。
 当時、文章作法といったことは、ありとあらゆる欠陥のせいでむちゃくちゃになってしまっており、私としてはそれを再び厳格な判断基準に沿ったものにしたいと考えていた。ところがどうだ。そんなときに若者が手に取るのは決まってセネカだった。
 もちろん私とてセネカをのっけから脇へと押しやってしまおうなどとは思っていなかった。だが、彼よりも優れた書き手がいるにもかかわらず、セネカを優先させるというのは許すことができなかったのだ。
 当のセネカの方では、そのような優れた書き手たちを非難するのが常であった。彼としても、自分の文章のスタイルが彼らとはかけ離れていることを自覚していたのだ。だから、優れた書き手の文章を愛好する人を、自分の文章で喜ばすことに自信がもてなかったのだ。
 さて、若者たちはセネカを模倣しようとしていたのではなく、むしろ彼を愛していたと言った方がよいだろう。その結果、セネカが先行する書き手たちからグレードダウンした分だけ、セネカを読む若者たちもセネカからグレードダウンしていた。とすれば、彼らがセネカと肩を並べることを、いやせめて彼の次くらいにはなることを望むべきだったのかもしれない。
 だが若者たちが気に入っていたのは、実はセネカの欠陥に限られていた。その欠陥の中で自分ができると思ったものに各人が熱を上げていたのである。その結果、「私はセネカと同じように書いている」と自慢することで、かえってセネカの顔に泥をぬることになっていた。
 他方、セネカには多くの長所があった。機敏で豊かな才能を持ち、その探求は決してとどまることはなく、豊富な学識を備えていた(とはいえ、その学識を得るに際して、自分で調べるべきことを他人任せにしてしまった結果、時として間違いに陥っていたのだが)。
 また彼はほぼすべてのジャンルに手をつけており、その弁論、詩、手紙、対話篇が今に伝えられている。哲学の分野ではそれほど熱心ではなかったが、欠陥を見つけることにかけては人一倍優れていた。
 彼の書く文章には、明快な警句か数多くあり、修養のためには大いに読まれるべきである。だが、その言い回しは多くの箇所で壊れており、魅力的な欠陥に満ち溢れていて極めて有害でもある。
 セネカは自分に与えられた才能を大いに発揮してものを書いたと言う人がいるかもしれないが、私の考えはそれとは別だ。もし仮に彼が何かを軽蔑し、曲がったことを望まず、自分の持てるものをあれほどには愛さず、取るに足らぬほど短い警句で大切なことを台無しにしてしまっていなければどうだっただろうか。彼は少年たちの愛ではなく、学識ある人々の一致によって、その価値を認められていたはずだ。
 けれども、十分に修練を積み厳格な文章作法で鍛え上げた者は、セネカを読むべきである。セネカを読むことで優れたところと劣ったところの両方から判断を下すことができる、ということだけが彼を読む理由だとしてもである。
 先ほども述べたように、彼には認められてしかるべき点、高く評価されるべき点はまことに多い。ただそのチョイスに注意しなくてはならないというだけである。願わくはセネカ自身がそうしてくれていればよかったのだが。なぜなら、彼はより高みを目指してもよい人間だったのだから。だが彼は自分の望むことを行ったのである。