アリストテレス主義者に対する逆説的論考』
序文
 若い頃、私は逍遥学派の哲学に浸りきっていたが、それを暗記することが適切なことだとは私にはまったく思えなかった。キケローの『老年について』には、哲学をする用意のある者は、あらゆる時間を鬱屈しないですごすことができるという言葉があり、私は哲学を志したとき、この言葉を胸に秘めていた。だが、キケローが述べているようなことは、学校で伝えられてきていた哲学では期待できないということが分かった。そこであらゆることを、より深く網を張って吟味してみたところ、いかに学校の哲学が無駄であるかに気がついた。しかし、私には一般的な偏見が致命的な矢のように刺さっていた。つまりあらゆる人たちがアリストテレスの哲学に同意していたのだ。だがその時、ヴィヴェス、シャロン、ラムス、ミランドラの著作は私の心を鼓舞し、心配を追い払ってくれた。
 そこで、他の学派の教えを調査してみた。何かもっとまともな見解が提出されていないかと。すると、なによりもアカデメイア派や懐疑派の判断停止が最も魅力的に見えた。