ストア派、ペトラルカ、セネカ

「17世紀の自然学はストア主義から恩恵を受けているのか?」Peter Barker and Bernard Goldstein, “Is Seventeenth Century Physics Indebted to the Stoics,” Centaurus, 27 (1984), 148-164. webcat
「初期近代の科学に対するストア主義の貢献」Peter Barker, “Stoic Contributions to Early Modern Science,” in Margaret Osler (ed.), Atoms, pneuma, and Tranquility, Cambridge University Press: Cambridge (1991), 135-154. webcat

 こんな論文を読みました。題名からもわかるように両方とも初期近代の自然学とストア派との関係を探ったものです。
 両方ともかなり古いので(片方は20年以上前のもの)、内容的にどうこういうものでもないのですけど、ちょっと面白い記述がありました。最初に挙げた論文の149ページには次のように書かれています(やや意訳)。

 初期近代の科学に対するストア主義の貢献は軽視されてきた。その理由のひとつは、古代の科学へのストア主義の貢献に対して極度に否定的な評価が与えられていたことにある。
 Dreyer はストア主義がとなえる「天体の知性」を軽視して、ストア主義者たちが数学に無関心であったことを批判した。
 Zilsel はストア主義者たちを「迷信的」と呼び、彼らが物理法則という概念の発展に対していかなる貢献もしていないとした。
 Dijksterhuis は後世の思想に対するストア主義の主な貢献とは、占星術を正当化したことにあるとした。そして、ストア主義による占星術の正当化は、もしかすると数学的自然科学の発展を妨げたかもしれないとしている。
 Toulmin と Goodfield はストア主義の充満理論が古代、そして中世において影響力を持ったことを認めてはいる。しかし影響力を持った期間を1600年以前に限定している。
 G. E. R. Lloyd はギリシア科学において経験的な探求の側面が弱かったことの例としてストア主義者をひいている。

 ヘレニズム哲学の専門書というのはほとんど読んだことがないのですが、もし一般的にこのような傾向が見られたとすれば、それなりに興味深いです。
 評価の基準が「数学に基づいた自然科学につながる可能性を持っていたか」というものだったのですね。善い悪いということでなしに時代(などと言っていいのか分かりませんけど)を感じさせます。

「ペトラルカ、キケロー、そして古代の異教的伝統」Maristella Lorch, “Petrarch, Cicero, and the Classical Pagan Tradition,” in Albert Rabil, Jr (ed.), Humanism in Italy, Philadelphia: University of Pennsylvania Press, 1988, 71-94. webcat

 こちらはペトラルカとキケローについて。入門的な内容なので、日本語で

ルネサンス書簡集 / ペトラルカ [著] ; 近藤恒一編訳. webcat

キケロ : ヨーロッパの知的伝統 / 高田康成著. webcat

の出だしの部分(上記近藤訳が部分的に引用されています)を読んだ方が理解が進むかもしれません。

 さらに
『中期プラトン主義と新プラトン主義:ラテン世界での伝統』Stephen Gersh, Middle Platonism and Neoplatonism: the Latin tradition, Notre Dame, Ind.: University of Notre Dame Press, 1986. webcat

セネカに関する部分を読んだのですが、これはまたおいおい…。というかこれは Lovejoy さんの守備範囲になるのでコメントは控えよう!