このブログ上での議論についての管理人としての見解

 どうも管理人の坂本です。ただいま帰宅しました。
 とりあえず議論を整理すると、11:42さん(便宜的にこう呼ばせていただきます)が言っておられるように、問題は、「コメント欄への2件の書き込みを削除した坂本の処置は適切であったのか」という点に集約されるかと思います。

 これ以外に問題となりうるのは、「的を得る(的を射るがおそらく正しい)」という言葉が誤用であるかどうかという点と、Hさんの人となりについての2点です。
 とはいえ「的を得る」に関しては、各人が辞典などで従来の用例に当たり、その上で自分の責任で正誤を判断すればよい問題であると考えます。人が誤った言語の使用を行った場合に、その誤りを指摘することは正当なことです。しかし誤用を行っているのが公の機関ならともかく、一個人に対して、誤用の指摘をこえてそれに関する謝罪や訂正を要求することが、生産的なことであるとは思えません。以後同じ誤用を続けて損をするのは誤用を行う当人であり、指摘した側にとくに損害が生じることはありません。あるいは以後も誤りを続けることを不快に思われるむきもあるかもしれませんが、人には愚行権というものが認められているものと私は判断します。
 また、Hさんの人となりに関しては、私たちがここで議論してもどこにもたどり着かない可能性が高いのではないでしょうか。

 というわけで、問題は私の処置が適切であったかどうかという一点に絞られるものと思われます。
 この点に関して、「的を得る」という表現は誤用であるという指摘があったことが、あとから確認できないような形で対処してしまったことは、私の誤った判断であったと考えます。申し訳ありません。管理人としての自覚が欠如しておりました。
 では誤用の指摘の存在が分かるような形で発言を削除していれば、それが適切な処置となっていたのかどうか。この点に関しては、私はまだ自身の責任に基づいた判断が下せる状況にはありません。ご理解ください。
 いずれにせよ、私はすでに判断を下して処置を取ってしまいました。その処置に関して不愉快に思われた方がおられることについては申し訳なく思います。またその方たちがどうして不愉快に思われたのかという点についても、私なりに理解したつもりです。
 さて、現時点でここでの議論が収束する可能性があるとすれば、私が自らの非を認めて謝罪するか、あるいは私に不服を申し立てておられる方がその申し立てを撤回するかのいずれかしかないように思われます。私は上にも書きましたとおりすでに自分の取った処置の一部については非を認め謝罪しております。しかしおそらく私に不服を申し立てておられる方からすれば不十分な謝罪に過ぎないのではないかと思われます。
 そしてこれは私の判断ですが、このまま議論を続けたとしても、私が全面的な謝罪に応じる可能性も、不服の申し立てが撤回される可能性も極めて低いといわざるをえません。したがって、ある意味で議論は出尽くしており、これ以上議論を重ねることの意義はそれほどないものと私は考えます。もちろん決着をつけるために、法的手段に訴え、損害賠償を請求するというケースも考えられますが、この問題についてそこまでの労力を払おうという人は一人もいないと確信します。
 さらにこれは私の個人的な事情なのですが、私のそれほど高くはない能力では、このような問題について多くの方のコメントにそくざに応対していくことはいささか過大な要求となっております。単なる弱音なのですが、この応対によって精神的に消耗して、他のことには手がつかないというのが現状です。もちろん自らの発言が招いた事態ですので、私には応対する義務があります。しかし、これはなんといっても私のエゴであり、自己中心主義なのですが、これ以上議論を続けてさらに消耗し、挙句の果てにダウンしてしまうことは避けたいと考えています。

 長々と述べてきましたが、いいたかったことは以下の4点です

1) 問題は私が2件のコメントを削除したことは適切であったのかどうかに絞られる。
2) 誤用の指摘があとから確認できないような形で削除したことは私の過ちであり、この点については非を認め謝罪する。
3) とはいえ、これ以上議論を重ねても議論が収束する見込みはない。
4) 私は精神的に消耗しており、(自分勝手ながら)これ以上ここで議論を重ねることは避けたいと考えている。

 以上述べてきたことから判断して、私は次のような処置を講じることにしました。すなわち、私はこのブログのコメント欄への書き込みを凍結するという処置を下すことにします。今後もこれまでのやり取りを見ることができますが、さらにコメント欄に書き込みを行うことはできなくなります。これは3) 議論が収束する見込みがないことと4) 私が議論を続けることを避けたいと思っていることからきた決断です。
 誰もが思われることでしょうが、これはブログの管理人としての責任を放棄したことになり、以後私に対する信頼が回復する見込みがなくなってしまうような処置であると思われます。
 私は言論というものは、外部から批判される可能性を常に意識しつつ、個人が自身の責任に基づいて発信することによって価値を持つ(あるいはその価値をます)と考えております。この点に照らし合わせてみるならば、ブログのコメント欄を凍結するという処置は私の信念に著しく背くものであり、できることならこのような決断を下したくはありません。
 しかし、私は自身がこれ以上消耗し、私が本来行いたい活動ができなくなってしまわないためにも、ミーイズムに基づいて上記の処置を取ることを決断しました。この点に関しては、厳しい批判的意見を抱かれる方がおられるであろうことは承知しております。
 とはいえ、ごくごく狭い道筋ではありますが、私の管理人としての責任を果たす道を残しておきたいと思います。すなわち、追加で以下のような処置を取ります。
 もし、今回の私によるこの書き込みの内容に対して、不服あるいはご意見がおありで、そのことを私にどうしても伝えたいとお考えの方は、私宛にメールをお送りください。アドレスは本サイトのプロフィール欄に掲示されております。送っていただければ、そのご意見をこの場に掲載することにいたします。ただし、そのご意見が私以外の方への個人攻撃を含むなどの問題がある場合は、掲載をお断りする可能性があります。この点に関してはご理解ください。
 私が今回の件に関して、現時点で述べたいこと、及び下した決断の内容は以上です。
 最後にひとこと。公の場に自分の見解を公開するということに、いかに大きな責任が伴うかということを、今回のやり取りを通して遅ればせながら身をもって学ばせていただきました。この点に関して、私のブログにコメントを寄せていただいたすべての方に感謝したいと思います。

坂本邦暢