結局昨日は英語訳はあまり進まず読書に時間を費やしてしまいました…。
- Dietrich Mahnke, Unendliche Sphäre und Allmittelpunkt (1937; repr. Stuttgart, 1966).
- Jürgen Hübner, Theologie Johannes Keplers zwischen Orthodoxie und Naturwissenschaft (Tübingen, 1975).
これらの著作によると、三位一体を球とみなす考え方は最終的にはアウグスティヌスの言葉に由来するようです(『キリスト教の教え』 第1巻第5章など)。
でもルネサンスにこの考えが広まるのはクザーヌスの影響が大きかった。クザーヌスは三位一体の構造を円に見立てます。中心が父、中心から円周に延びる放射が子、そして円周が聖霊として解釈されます。
で、この円を球に解釈に読み替え、かつ子と聖霊の役割を入れ替えたのがケプラーでした。ケプラーにとっては球の中心が父、球の表面が子、中心から表面への放射が聖霊となります。
私は上記の本を読むまで、この解釈はケプラーの独創かと考えていたのですけど、そうではない可能性もあるようです。
Fnracesco Giorgio Zorziという人が1525年に『De harmonia mundi totius cantica tria』という本を出版しています。その中でZorziは球の中心を父、球の表面を子、中心から表面への放射を聖霊とみなしているそうです。MahnkeはケプラーがZorziを読んでいたのは間違いないと推測し、ケプラーのクザーヌスからの逸脱をZorziからの影響によって説明しています。
- 〔参考〕ttp://www.geocities.jp/mitakaryo5/Mahnke_Zorzi.pdf
うーむ。しかしこうなるとケプラーと同じように三位一体を球とみなしたガッサンディの位置づけは。彼がZorziを読んでいたとは少し考えにくいのですが。でもな…。そもそもZorziの文章に実際に当たってみないことには本当にクザーヌスの円が球に読み替えられているかも判断しがたい。