スカリゲルの混交論についてのニューマンの解釈

 スカリゲルは『演習』の中で混交について論じています。この論点について、ニューマンが『原子と錬金術』の中で取り上げています。しかし私の考えではニューマンのスカリゲル解釈は間違っています。

 まずニューマンの意見の確認から。彼によると、スカリゲルは混交した物質中では、形相は分かれた状態に保たれていると考えていました。たとえば、水とワインを混ぜた場合、水とワインの形相が合わさって別の形相が生まれるのではなく、両者の形相がそれぞれ独立した状態で保存されることになります。

 ではスカリゲルの実際の記述に目を転じてみます。ニューマンが取り上げている見解を紹介した後、スカリゲルはまだ一つだけ論じるべきことが残っていると述べます。その論点とは「これら〔混交中の〕形相もまた混じり合って、一つのものになるのか」というものです。そうだとすると「混交したものはそれ自体で一つの物体ということになり、一つの形相の下にあることになる」。ただし、形相の混じりあいが不完全なため、何らかの手段によって元の形相を復元することができる可能性が残る。

 もしこの見解が正しいとすると、これまで自分が混交について論してきた「あらゆる論拠が一掃されることになる」とスカリゲルは述べます。というのも、もし混交物中で形相が混じり合うことで、新たに単一の形相が誕生するとするなら、混交中に複数の形相があると考える必要はなくなるからです。

 この二つの意見を取り上げた後、スカリゲルは次のように自らの立場を明らかにします。

どちらの意見に同意するかということは容易には決めがたい。〔中略〕。しかしもし無知な人間の知を使って私に正しいと思われることを述べよと言われたならば、後者の意見〔=形相が混じり合う〕の方に賛同することを告白しよう。

スカリゲルの考えでは、混交の際には元々の形相は保存されません。混じり合って別の形相が生まれます。彼によれば、混交が生じる際に質料が混じり合うのだから、形相も混じり合うことができると考えるのが自然だということになります。

 以上から分かるように、ニューマンがスカリゲルの見解として紹介しているものは、実際には彼によって否定されています。この誤りがどういう問題を引き起こすかという点についてはまた日を改めて考えることにします。