哲学が変わる時

 次のような文章の意味が知的階級に属する人たちにとって意味を持たなくなっていったとき、哲学はかつてになっていた役割を失い、別の何かに変わったのではないかと思うのです。

 しかし、さらに検討されねばならないのは、善ないし最高善なるものが全体の自然[実在する世界のすべて]に対して次のどちらの関係にあるか。すなわち

 それはなんらか[世界のすべてから]離れて独立にそれ自体で存在しているのであろうか。それとも[世界のすべてに内在する]秩序なのであろうか、という問題である。

 あるいはむしろ、これらのどちらでもあるのではなかろうか。たとえば軍隊においてのように。すなわちそこでは、その軍隊の善さはその秩序にもあるが、また[その上に立つ]指揮官も善でなくてはならないから。

 ただしそこでは、善はより多く指揮官の側にある。なぜなら、指揮官はその軍隊の秩序に依って存するのではなく、かえって指揮官[の善]に依ってその秩序の[善さ]が存するのであるから。

 そして、すべてのものは、泳ぐ魚でも飛ぶ鳥でも植物でも、同様の仕方ではないにせよ、とにかくなんらかの仕方で共同的に秩序づけられている。これらすべては、それぞれ他とは無関係に存在するようなものではなくて、たがいに何らかの関係をもっている。

 それは、或る一つのものに向けてすべてが共同的に秩序づけられているからである。

アリストテレス形而上学』12巻10章。出隆訳)

 休日の与太話でした。