世界霊魂研究その34 カルダーノ『事物の多様性について』

 カルダーノの『事物の多様性について』を少し読んだので、以下にちょっと殴り書きをして起きます。何も整理されていないのでご注意を。

 さて同書には次のような一節があります。

その部分が全体[i.e. 世界霊魂]から区別されているような精神の中では、全体は不死でありえるが、諸々の部分は消滅しうる。たとえば元素において、そして動植物の個々の種においてそうである。したがって自然学の枠組みで論じた人々はすべて霊魂は不死であるとし、その霊魂が一つであると述べた。たとえばテオフラストス、テミスティオス、アヴェロエスがそうである。したがって精神は一つであり、全体のうちにあり、永遠のものであり、より上位の精神とつながっている。そのため外から[事物に]到来する。一方、個々の事物の霊魂で、その事物に固有の霊魂は物体の中にあり死すべきものである。したがって前者の場合は精神は実体を有していて、後者の場合はなすべき務めを有している。

 ここで言われている全体的な精神というのは、世界霊魂のことです。カルダーノの考えでは、世界霊魂というのは一つであって不滅です。これが月下界の事物に宿ります。その宿り方は、太陽の光が同じ光でありながら、いろいろな鏡に写ることにたとえられます。このようにして、一つである世界霊魂が一つのものであり続けながら、いろいろな事物に別々に、しかし相互に繋がった状態で宿るわけです。

 世界に霊魂は一つしかないという見解を唱えていた人物として挙げられているのが、テオフラストス、テミスティオス、アヴェロエスです。テミスティオスとアヴェロエスについて彼が何を意味しているのかは分かるのですけどテミスティオスについてはまだよくわかりません。誰か情報ください。私も調べますけど。いや、でもよく考えるとアヴェロエスについてはよく分からないか。

 ここでカルダーノの物質論を考えてみると、彼は熱といったり、霊魂といったり、三位一体を象徴する力といったりいろいろ表現を変えていますけど、これらはすべて世界にある唯一の能動原理について語っているわけです。これに対してもうひとつの受動的な原理がご存知第一質料となります。

 これら二つは両方とも生成も消滅もしないとされます。つまり能動原理は体を持たないために不滅ですし、第一質料はそのような能動原理をいつでも受け入れ可能な状態で待機しており、事物の生成消滅に影響されません。これらの二つの原理は神が世界を創造したときに一度生み出されただけで、それ以降は(終末が来るまでは)不変です。

 以上のような世界には能動と受動の2つの不滅の原理があるという信念がカルダーノの物質理論の核となっています。この信念を通すために、彼は四元素説を否定します。その上で2つの原理について自然哲学的に語るための道具立てとしてアリストテレスの四性質が持ち出され、熱と湿の議論が再利用されることになります。有名な鉱物も生きているという話もすべて上記の核となる信念から導き出される結果です。

 というわけでこの能動と受動原理を起点に彼の物質論を見て行くというところまではいいのですけど、じゃあなんで彼は原理の数を厳格に2つに限定しようとしたのか。果たしてそれは何を意味したのか、という疑問は残ります。