不可視の人種

男性と女性の頭蓋骨の容積は、わたしがおこなったように、年齢、身長、および体重が同じ個人についてみると、文明の水準が上がるとともに、きわめて急速に差がつくようになる。つまり、この相違は、劣等人種では微小なのに対して、優等人種では膨大なのである。

 性別ごとの脳の容積という可視的なものから、もろもろの人種という不可視なものの識別が可能となる。この引用文は1894年に出版された『民族の進化に関する心理法則』という教科書に現れるものです。著者は医師にして人類学者にして古代文明史学者のギュスターヴ・ル・ボンでした。彼によれば、ある民族の生活とはその民族の精神的体質、すなわち「人種の魂」に規定されています。この魂は「本質においては不可視であるが、効果においてはすぐれて可視的である」であるとされ、だからこそ冒頭引用文のような脳の容積の違いをもたらすものと捉えられることになります。

 ル・ボンについての以上の記述は、モーリス・オランデール『歴史なき「人種」』小田中直樹訳、『思想』No. 1041(2011年)、32–68から取られたものです。オランデールの基本的な考え方は次のようなものです。ヨーロッパにおいて人種について考察し、それを分類し序列化する営みとは、可視的な指標が不可視の資質と相関関係にあるとみなし、そのうえで前者から後者を確定することであった。しかもそこで確定される最も重要な不可視な資質とは、道徳と知能に関係するものであった。こうして分類され序列化された対象の本質が規定され、さらにはその本質が時間を超越するものであるがゆえに、対象が持つ歴史性がはく奪される。したがって人種概念とは歴史をなくしたところに成り立つものとしてとらえられるのではないか。このような仮説が提示されます。

 可視的なものを不可視なものの現れとしてとらえ、前者から後者を推測するというのはおよそ何らかの理論を形作ろうとする際に必ず用いられる思考でしょう。この意味でこの論文は人種概念にテーマをしぼったものでありながら、人類の知の歴史を考察する多くの人にとって問題のとらえ方のヒントを与えてくれるものかもしれません。

 ところでこのように考えてくると、ヒポクラテス文書にある「人間は、眼に見えるものから見えないものを探究することができない」という一文は何気に衝撃的です(『食餌法について第一巻』11節)。

思想 2011年 01月号 [雑誌]

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エデンの園の言語―アーリア人とセム人・摂理のカップル (叢書・ウニベルシタス)

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