ガレノスと中期プラトン主義

Galen and the World of Knowledge (Greek Culture in the Roman World)

Galen and the World of Knowledge (Greek Culture in the Roman World)

 この論集にある次の論考を読みました。ガレノスの有名な不可知論を切り口に、彼と中期プラトン主義の相違点を取り出すことに成功しています。

  • 「ガレノスと中期プラトン主義」 Riccardo Chiaradonna, "Galen and Middle Platonism," 243-260.

 プラトンが創設したアカデメイアは前三世紀ごろから懐疑主義思想の拠点と化していました。この風潮を変えて、疑うだけでなく自らの教説を唱えることを開始したのが前一世紀前半のアンティオコスです。現代の研究者たちは、彼からはじまりプロティノス(紀元後三世紀)にいたるまでのプラトン主義者たちのことを「中期プラトン主義者」と呼んでいます(もちろんプロティノスは入らない)。

 ガレノスはプロティノスが生まれる直前に死んでいるため、彼が生きていた時代に流通していたプラトン主義というのは中期プラトン主義でした。では彼の思想と中期プラトン主義との関係はいかなるものか。

 この問いに答えるためにChiaradonnaはガレノスの認識論を取り上げます。ガレノスによれば正しい知識は感覚と理性をともに用いることで得られます。そのため感覚から得られる経験を抜きにして理性のみを用いて思索をすることでは確かな知識に到達することはできません。ここから彼は感覚を頼りに考察することができない問題に確かな解答を与えることを拒否します。有名なガレノスの不可知論です。この姿勢がもっともよく現れているのが宇宙創造論に対する彼の見解です。

したがって私は宇宙が創造されたのかどうか、あるいは宇宙の外に何かがあるのかどうかについて知らない。そしてこれらのことについて知識を有していないのだから、宇宙のすべてのものの創造者について私が知識を持っていないのは明らかである。

この他にもガレノスは霊魂の不死については確かな知識を得ることができないとしています。

 これに対してアッティクス、プルタルコス、アルキノオスらの中期プラトン主義者たちは宇宙創造論や想起説(これは霊魂の不死を前提にしています)を確かに証明されうる学説として取りあげています。彼らは感覚が確実な知識の獲得に不可欠だと考えていませんでした。そのためガレノスのように不可知論にとどまることなく感覚の外にある問題についても自説を披露することが可能でした。同時に感覚の軽視の帰結として、彼らの多くは自然探究に関心を払うこともありませんでした。

 こうしてガレノスの思想は中期プラトン主義とは性格を異にするものとして解釈されると言うわけです。