ダニエル・ゼンネルトの自然哲学 Michael, "Sennert's Sea Change"

Late Medieval and Early Modern Corpuscular Matter Theories (MEDIEVAL AND EARLY MODERN SCIENCE)

Late Medieval and Early Modern Corpuscular Matter Theories (MEDIEVAL AND EARLY MODERN SCIENCE)

  • Emily Michael, "Sennert's Sea Change: Atoms and Causes," in Late Medieval and Early Modern Corpuscular Matter Theories, ed. Christoph Lüthy, John E. Murdoch and William R. Newman (Leiden: Brill, 2001): 331–63.

 ダニエル・ゼンネルトの自然哲学の肝の部分を実に手際よくまとめている論文です。ヴィッテンベルク大学で医学の学位を取得し、同大学の医学部教授をつとめたゼンネルトは原子論者でありながらアリストテレス流の質料形相論をなお保持していた人物として、初期近代の自然哲学史研究で近年注目を集めている人物です。

 医学で学位をとり、その後も医学書を書き続けたゼンネルトは実地に自然を観察すことの重要性を強調していましたし、学問方法論上も経験の必要性をとなえるヤコポ・ザバレラの教えにしたがっていました。また彼は医学者としてパラケルスス派の医化学の潮流にも大きな関心を払い、医学にとって化学研究が必須であるとしていました。しかし同時に彼はパラケルスス派のように化学を哲学体系を建てるための基礎と認識するのではなく、あくまで化学は薬剤の調合や金属の変成など実践的な学問だと捉えていました。

 彼の理論のもうひとつの前提は、トマス・アクィナスとは対立する形相の把握の仕方です。すでにここでもなんども取り上げているように、トマスは一つの実体は一つの実体形相しか持たないとしていました。これに対してゼンネルトは実体中に複数の形相があることを認めていました。しかもそれは「体の形相と人間の形相の2つの形相が人間にはある」というような中世以来の形相の複数性についてのスタンダードな学説ではなく、体の部分のすべてがそれぞれの形相を保持しているという学説でした。

 ゼンネルトは合金が硝酸によってもとの金属に分解されるといった観察事例から、物体中でもその構成要素は保存されると考えました。しかもそこで保存されるのはその究極の構成要素である元素だけではありません。例えば合金の場合ならその元となっている金属が保存されます。もしそうでなかったらどうして合金は分解されうるでしょう。要するに物体のなかではその究極単位だけでなく、その究極単位から何らかの形で形成されている中間的な段階の構成要素も保存されているのです。

 そこで彼は物体というのは究極単位の元素(あるいは原子)が集まり中間的な段階の事物を形成し、さらにこの事物が複数集まりその次の段階の事物を形成し…と内部に階層的秩序を持つものであると結論づけます。この結論を理論的に説明するために形相の複数性の学説が援用されます。それぞれの段階をなす物体のすべてが固有の形相を保持しながら集合体を作っていると考えられるわけです。そして一番上の段階にくる形相がその事物の実態形相であり、これがその他のすべての形相を統括することになります。

 この理論によれば、例えばある金属は硫黄、塩、水銀というパラケルスス流の三原質から構成されており、これら三元素がさらに究極単位である四元素(原子)によって構成されていることになります。生物の体についても同様に諸部分が段階を経て最終的に四元素にまで行き着くということになります。

 これら各部分が独自の形相を持つということから、ゼンネルトは性質理論の読み替えも行います。通常のアリストテレス主義哲学では匂いや色のようなものは、熱冷乾湿の第一次性質の相互作用から生じる第二次性質として捉えられていました。これに対してゼンネルトは第一次性質をどのように相互作用させても色や匂い、さらには磁石の牽引力のような性質は生まれ得ないとして、従来二次性質として扱われていた性質もすべて、一次性質と同じく形相に直接由来するものだとしました。

 形相の役割はゼンネルトが原子論者でありながらデモクリトスに対して一定の留保を保っていた理由の一つでした。彼によれれば原子の単なる集合だけでは、なぜ種子から生物の体が形成されるのかが説明できません。このことを説明するためには、あたかも職人がこれから作る家の図面を形相としてその心のなかに持っているように、形成される体の形相が種子の中にあらかじめなくてはなりません。このいわば体の設計図を有した種子が熱を道具として体を形成していくことになります。こうして、不可分の原子を認めながら形相の必要性をも否定することはできないという結論にゼンネルトはたどり着きました。