16世紀の経歴詐称

  • Vernon Hall, Jr., “Life of Julius Caesar Scaliger,” Transactions of the American Philosophical Society 40 (1950): 85–170.

 今でも経歴詐称というのがよくあるように過去にもありました。16世紀に活動した医師、人文主義者、哲学者のユリウス・カエサル・スカリゲルは、かつてヴェローナを支配していたデラ・スカラ家の末裔であると自称していました。デラ・スカラ家のヴェローナ支配は1387年に途絶えていました。そこからスカリゲルが語る劇的なストーリーは次のようなものです。デラ・スカラ家最後の王子であるウィリアムの息子のニコラスと孫のべネデットは、ハンガリー王とデラ・スカラ家再興のため交渉し、ベネディクトの方は王の軍の指揮者をつとめていました。この再興の企てを知ったヴェネツィアは、リーヴァ・デル・ガルダにあるスカリゲル家の城を襲います。城はベネディクトの妻と2歳になるその息子、そして数日前に生まれたばかりのユリウス・カエサルがいました。彼らはヴェネツィア軍の手からからくも逃れたものの、城は壊滅します。その後父べネデットは神聖ローマ皇帝マクシミリアンと知己を得て、幼いスカリゲルもその宮廷に出入りするようになりました。しかし1512年フランス軍とあいまみえたラヴェンナの戦いにて、父親と兄は死亡。皇帝の下を去ったスカリゲルは母が住むフェラーラに戻るものの、夫と息子を同時に亡くした悲しみに耐えられずに母もまもなく他界してしまいます。こうしてユリウスは一度に、父、母、兄を失い天涯孤独の身となりました。たった一人のデラ・スカラ家の末裔です。

 というのはすべて嘘だ。ユリウス・カエサル・スカリゲルという男の正体は、1484年にパドヴァの細密画家べネデット・ボルドーニの息子として生まれたジュリオ[ユリウス]・ボルドーニです。ではデラ・スカラというのはなんなのか。一説によれば、これは細密画家の父が自分の店のマークとしてハシゴ(scala)を掲げていて、それで「ハシゴの Della Scala」べネデットと呼ばれていたことに由来します。もしこれが正しいとすると、息子のジュリオはこのあだ名とデラ・スカラ家の一致に着目して、自らの出自を創出したことになります。

 細密画家の息子としての経歴を消し去り、ヴェローナの貴族の末裔であるとまで自称したスカリゲルの虚栄心はたいしたものです。この肥大化した虚栄心があったからこそ、彼はエラスムスカルダーノという当代随一の学者たちに論争を挑んだのでしょう。実際カルダーノはスカリゲルが自分を攻撃してきたのは売名行為のためだろうと考えていました。またスカリゲルは息子に実に厳しい教育を施し学者としての素養を植えつけるとともに、自らの家の出自の高貴さを繰り返し語ってきかせました。これにより彼の息子はエラスムスに匹敵する学問上の巨人として歴史をなお残すことになります(古典学を学んで、ヨセフ・スカリゲルを知らない人がいるでしょうか?)。しかし同時に息子は親が語って聞かせた家門の高貴さを信じそれを大々的に吹聴してしまったために、彼の論敵達の疑惑を招き、ついにははじまりの細密画家べネデットの存在が明るみに出てしまいます。彼は父の虚飾の産物であると同時に犠牲者でもあったのです。

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