細分化される生命と地球の歴史 Rudwick, Worlds Before Adam, ch. 12

Worlds Before Adam: The Reconstruction of Geohistory in the Age of Reform

Worlds Before Adam: The Reconstruction of Geohistory in the Age of Reform

  • Martin J. S. Rudwick, Worlds before Adam: The Reconstruction of Geohistory in the Age of Reform (Chicago: University of Chicago Press, 2008), 161–75.

 12章では1825年から31年までの第三紀の地層についての研究が扱われます。生命の歴史が統計的に浮き彫りにされてゆく様子が描かれます。

 すでに第三紀の地層はキュビエ、アレクサンドル・ブロンニァール、ウェブスターによって調査されていました。ブロッキにいたっては、自分が調査したイタリアの第三紀地層で見つかる化石の種類がパリやイングランドで発見される化石種とは異なるということも指摘していました。彼はこの違いを地域ごとの気候の違いに帰しています。同じ第三紀地層といえども、含まれる化石種が異なる場合があるという知見は、オーギュスタン・ピラミュス・ドゥ・カンドール(Augustin-Pyramus de Candolle)の調査によって説得力を増すことになります。彼の調査は現生植物の地域ごとの分布を「統計的」に算出したものでした。現在に適用されたこの手法を過去にも適用できるのではないか。実際、1825年にBarthélemy de Basterotは各地の第三紀地層で見つかる化石種を比較しました。ボルドーで見つかる330の貝の化石種のうち、91がイタリアで、66がパリで、24がイングランド、18がウィーンで見られるというのです。基本的に距離が近いほど種が近いことが分かります。しかしプレヴォは同じような結果を前にして、第三紀内部での化石種の違いは、地域ごとの気候の違いではなく、むしろ時代の違いであると推測しました。ウィーンの第三紀層はパリのそれよりも新しいというのです。彼の推測は第三紀が進むにつれて、軟体動物が次第に現在のそれに近づいていったということを示唆しました。デノアイエ(Jules Pierre François Stanislas Desnoyers)はもまたノルマンディでの調査に基づいて、各地の第三紀層で見られる生物種の違いは、それらの地層の年代的差異に起因すると結論づけました。彼によればこの差異は化石種の違いからだけでなく、地層の順序からも確かめられるといいます。ここからDesnoyersは、第三紀には前半と後半の二つの期(period)があると結論づけました。

 以上のような化石種の比較に基づく推測を打ち立てるためには、当然ながら各地層から発見された化石の詳細な記録が手元になければなりません。ちょうどこのころパリについてこの必要性に応えるような書物が出版されていました。ジェラール・ポール・デエー(Gérard-Paul Deshayes)が出した『パリ地方における化石貝の描写』がそれにあたります。しかしデエーはパリで算出する化石の描写には満足せず、独自の第三紀の動物相に関する学説を提示するにいたりました。彼は第三紀は2つではなく、3つのグループの化石種によって区分されていると考えました。そのうち第1期では現在と共通する化石種は全体の3%しかありません。第2期になるとそれが19%にまで上昇します。第3期になると52%にまで上昇します。地層に見られる特徴的な化石に注目することで、諸地層を区分していくのではなく、含まれている化石種を全体として捉え、それを量的に比較することで地層の相対年代を確定していくという手法が実践されています。同じような手法はドイツにおいてはハインリヒ・ゲオルグ・ブロンによって導入されていました。

 地球の歴史において動物が時間の経過とともに変化しているということを以上の研究成果は強く示していました。同じ成果を植物の領域でもたらしたのがアドルフ・ブロンニァールです。彼はまずキュビエにならって、発見された植物化石と現生の植物を詳細に比較することで、発見された化石がどの植物種に属するかどうかを確定しました。この同定作業の基礎のうえに、彼は植物種を少なくとも3つのグループに区分することができると論じました。この議論もまたデエーのそれと同じように、ある種類の植物化石の発見数が、時の経過にともなってどの程度増えているかを示すという統計的な手法に基づいておこなわれています。

 ブロンニァールはこの結果を地球の環境変化に関する学説と結合させました。炭層から見つかる植物種は、それらが熱帯の環境にいたことを示している。これが意味するのは、現在の欧州は過去には熱帯地方であったということだというのです。ということはつまり、過去から現在にいたるまで徐々に地球の気候は寒冷化しているのではないかと推測できます。また石炭に含まれる大量の二酸化炭素は、かつての大気は今よりも大量の二酸化炭素を含有していたことを意味すると彼は考えました。現在では大気中の0.1%が二酸化炭素であるのにたいして、かつてはおそらく8%だったのではないかと推測したのです。以上の推測は、当時広く受け入れられていた、過去から現在にかけて徐々に地球が寒冷化してきているという学説と合致したものでした。

 地球が冷えているということを化石から証明するという試みは思わぬ援軍を得ることになります。調査隊がメルヴィル諸島の炭層に大量の熱帯性の植物化石が含まれていることを発見したのです。極北の地に熱帯の植物がかつていたということは、かつて地球全体が今よりも暖かかったと考えなければ説明できないだろうとされました。同種の発見は各地に派遣されていた調査隊からももたらされました。もちろん地球の寒冷化理論に反対する論者もいたものの、趨勢としてはこの理論は正しいものとして受け入れられていくことになります。