物質に近接する霊魂 Klemm, " Peter of Abano on the Reconciliation of Aristotle and Galen"

Psychology and the Other Disciplines: A Case of Cross-disciplinary Interaction (1250-1750) (History of Science and Medicine Library: Medieval and Early Modern Science, 19)

Psychology and the Other Disciplines: A Case of Cross-disciplinary Interaction (1250-1750) (History of Science and Medicine Library: Medieval and Early Modern Science, 19)

  • Matthew Klemm, "A Medical Perspective on the Soul as Substantial Form of the Body: Peter of Abano on the Reconciliation of Aristotle and Galen," in Psychology and Other Disciplines: A Case of Cross-Disciplinary Interaction (1250-1750), ed. Paul J.J.M. Bakker, Sander W. de Boer, and Cees Leijenhorst (Leiden: Brill, 2012), 275-295.

 アバノのピエトロ(1257-ca. 1315)の発生論と混交(complexio; krasis)概念に焦点を当てた論文である。ピエトロによれば、父親の精液と母親の月経血が混ざったときに生まれるものは独自の精気と形成力を備えている。形成力はもともと精液にあったもので、父親の霊魂と星々の両者から来ている。これが素材である月経血に働きかけて、有機体が形成される。このとき有機体の運び手となるのが精気だ。精気は熱、冷、寒、湿の混交からなっている。特にこの精気を特徴づけるのが二種類の熱である。ひとつは元素が持つような通常の熱であり、もうひとつは天から来る熱である。精気に乗った形成力の働きにより男性の場合は受精から35日後に、女性の場合は45日後に霊魂受け入れの準備が整い、神から霊魂が与えられる。このとき形成力は消滅する。形成力そのものが霊魂となることはできない。なぜなら形成力は器官を持たない精気と結合しているものであり、これが器官を持つようになった身体と結合はできないからである。その結合は霊魂によって達成される。

 ピエトロの議論において混交が非常に大きな役割を果たしているのが以上から見てとれる。形成力が存在するにも、霊魂が存在するにも、それらが宿るにふさわしい物質的な混交が実現されていなくてはならない。ではここから、この混交こそが霊魂とみなせるのではないか?確かにガレノスの著作のうちに混交を霊魂と同一視しているかに見える箇所があることをピエトロは認める。しかしそれは誤った解釈だと彼はする。ガレノスを適切に読むならば、彼が霊魂と混合を区別していることが分かる。こうしてピエトロは霊魂自体を物質的混交とみなす危険な説から距離をとった。

 だがピエトロの学説は疑惑を招いた。霊魂とそれを受け入れる物質的条件の結びつきを非常に緊密に理解し、かつ霊魂の不死性を証明しようとはつとめなかったからである。これにより彼は実際には霊魂を物質とみなしているのではないかと考えられた。とはいえピエトロにとって霊魂とその物質的基礎の結びつきは譲れなかった。なぜなら物質的基礎を操作することにより、われわれを身体的にも精神的にも倫理的にも改善することができると彼は考えていたからである。この操作をつかさどるにふさわしいのは哲学者や神学者ではなく、ピエトロがそれであるところの医学者なのであった。