南原繁

0. はじめに

 南原繁という人の本を借りてきました。太平洋戦争が終わったときに東京大学の総長であり、また貴族院議員だった人です。天皇の退位をとなえていたというのでよく引き合いに出されます。丸山真男の先生です。
 それなりに面白いです。エピクロスについてどう論じているのかなという興味関心から手に取ってみたところ、面白い記述にぶつかりました。結論から(乱暴に)言うと、南原は

エピクロスソフィスト(的)=個人主義=近代思想=戦中の日本=克服すべき

という図式を思い描いていたようです。以下長くなりますが、南原の主張を追ってみました。

1. 『政治理論史』

 南原がエピクロスを取り上げているのは、1962年に出された『政治理論史』という著作においてです。この著作は出された年こそ、戦争終了後ずいぶん時がたった時点となっていますが、中身は南原が1925年から1951年まで大学で行ってきた「政治学史」という講義を基礎としています。
 まず南原はエピクロスの思想について「ソフィストのうちの極端な思想と相通ずるものがある」と述べ、エピクロスの哲学に従う者は「かえって、ソフィストのように絶対的な僭主政治を容認することとなった」と述べています。
 そしてエピクロス個人主義に関しては次のように書いています。

ローマの厳格な国家法律生活の半面に、かような個人主義的快楽主義の普及を見たことは、歴史の興味ある問題である。

 この箇所について丸山真男講義ノートを取っています。この講義ノートは1936年に取られており、2.26事件のすぐ後に行われた講義を筆写したものです。この講義ノートには上記箇所について、

厳格なる国家主義の反面には常に快楽主義がある!

と書かれているそうです。丸山はこの箇所について以下のように記しています。

「厳格なる国家主義」という、今日ではほとんどなんら特別の感情を呼び起こさない表現が、当時の教室にあっては言う人にも聴く者にも重苦しい現実性を帯びており、それだけに先生のこの言葉には骨を刺す時代批判がこもっていた。

 南原は、日本の政治状況が抑圧的なものになっていた1936年という時点で、厳格な国家主義個人主義的快楽主義が並存していると主張していました。そして日本の国家主義個人主義的快楽主義との並存状態を、ローマの厳格な法制度とエピクロス主義との並存状態に対応するものとして捉えていました。

2. 『国家と宗教』

 南原は『政治史理論史』においてエピクロスソフィストの類似性について語っていました。抑圧的な権力と個人主義との並存状態とをソフィストとの関連において語るということを、南原はすでに『国家と宗教―ヨーロッパ精神史の研究―』(1942)という著作で行っています。同著作は戦中に出ており、南原の戦中の考えを知る際に参考になります。
 南原によれば「啓蒙精神あるいはその発展の特徴として」、「もって個人の恣な批判と、したがって歴史におけるすべての善きもの・美しきものの侮蔑ないし否定が先にたち、それと同時に一般に個人の自由と幸福が生活の基準である功利的人生観と機械的な国家および社会観がこれに伴う」という現象が認められるとされます。
 このような考えは南原によって「ギリシャにおいてソフィストたちによって雄弁に説かれた意見」と理解されます。このようなソフィストの考え方と近代民主主義・近代国家との関係について、南原は次のように述べます。

そして近代民主政治とその基づく近代国家を形成して来た理論的根拠が、主として啓蒙的自然法思想とその発展変形である実証主義哲学であるとすれば、いわゆる「近代人」が人間と世界、国家と社会、学問と文化に対する根本の態度は、かれこれ相互のあいだの歴史的隔たりにもかかわらず、その本質においては以上のごときソフィストたちのとった態度と大きな相違はないはずであろう。

 つまり南原によれば、現代の「時代精神」(これも南原が使っている言葉です)は基本的にソフィストと同種の思想を基礎にしています。今日その「時代精神」は「行き詰まり混乱」し、人々は「退廃した悪しき国家に対して正しい国家の再建を企て」ているとされます。
 このことを逆からいえば、近代の「時代精神」こそが「退廃した悪しき国家」を生み出しているという主張を南原が抱いていたということになります。先に「厳格な国家主義個人主義的快楽主義との並存」という現状認識を南原が抱いていたと述べました。この現状認識を上記の言葉で言い直せば、「厳格な国家主義」は「退廃した悪しき国家」に、近代の「時代精神」が「個人主義的快楽主義」に対応することになります。
 そして南原は、行き詰っている近代の個人主義を乗り越えるために、今日ではプラトンアリストテレスの思想が注目されていると論を進めます。ソフィストの思想の克服を目指して、プラトンアリストテレスは思索を行いました。南原によれば近代思想はソフィストと同種の思想的傾向を持っています。そのような近代思想の克服が課題となっている今日、プラトンアリストテレスの思想が注目されるのは「少しも怪しむに足り」ないと南原は主張するわけです。
 要するに南原の頭の中では

ソフィスト vs プラトンアリストテレス
近代思想 vs 現代の哲学的課題

という平行関係が成り立っていることになります。そしてソフィスト・近代思想はその極端な利己主義・個人主義によって、かえって「僭主政治」への服従を引き起こし、「退廃した悪しき国家」を生み出してしまう。よって乗り越えなければならないというのです。
 繰り返しになりますが、ここで言われている「僭主政治」、あるいは先に引用した「退廃した悪しき国家」という言葉は、戦前戦中の日本の状況が念頭に置かれた上で書かれたものです。南原はソフィスト、近代思想、プラトンアリストテレスという言葉を用いて、自らの現状認識と取るべき対応策を提起していたことになります。

3. まとめ

 ごちゃごちゃしてきましたけれど以上のことをここで整理してみます。
 南原は戦前戦中の「厳格な国家主義」を批判しました。「厳格な国家主義」と「個人主義的快楽主義」は並存し、そのことが戦前戦中の日本に当てはまると南原は主張します。このような日本の状況は、ローマにおける厳格な法制度とエピクロス派の隆盛と対応させることで理解できると南原は考えていました。そして「厳格な国家主義」と並存する「個人主義」を克服して、「正しい国家の再建」を目指さなければならないと南原は主張するわけです。
 戦中から戦後にかけての知識人は、「(利己主義に相当する)個人主義」を基礎におくのではないが、同時に従来の日本の体制とも違う国家像を求めていました。丸山真男

長きにわたるウルトラ・ナショナリズムの支配を脱した現在こそ、正しい意味でのナショナリズム、正しい国民主義運動が民主主義革命と結合しなければならない

と述べています。
 南原はこのような考えを表現するために、ソフィストエピクロスプラトンアリストテレスと対比させるという手段を用いたわけです。
 今となっては「個人主義」という言葉は、戦前の日本を好意的に捉える保守派が、現状を批判するために用いるに過ぎない言葉になってしまいました(というと言いすぎでしょうか)。またギリシア哲学研究(あるいはヘレニズム哲学研究)が、現状への提言と重ねあわされて追究されることはありません。
 そのような現代から考えてみると、エピクロスソフィストの主張に戦前戦中の日本を重ね合わせ、同時代の状況を批判しようとした南原には、やはり隔世の感をおぼえざるを得ません。しかし西洋の哲学を本来の文脈から切り離して、そこへ現状に対する自分の信念を託すという思想のあり方は、日本の知識人が西洋思想をどのように受容されたかと考える上で見逃すことができない局面であるとはいえそうです。