日本の人文学について

 Hさんが

日本に学問制度というものが移植されてから100年以上が経つ訳ですが、こと人文学に関しては、(東洋学などを除いた分野で)世界レヴェルの学者を生み出せなかったことは大きな負の遺産でしかないと思っています。

と書いておられます(ごくごく個人的な「本」日記、5月26日付)。Hさんが繰り返し指摘されていることでまさにその通りなのですけど、どうしてこういう悲惨な事態になってしまっているのか。
 僕にはその原因を解き明かす準備はありませんが、現場で授業を受けていて一つ感じるのは、大学院で演習を受けていても、それが世界のトップレベルの研究に直結していると感じることがまったくないということです。授業の内容面でも、実際に授業をしている教員の面でも。
 そしてそれにあわせて僕たち学生のほうでも、専門誌に論文を投稿して学界をリードしている人というのは、遠い世界の人なのだと思って、中途半端に欧文で書かれた論文を消化し紹介するのにとどまってしまっているのだと思います。〔端的に能力が欠如しているというケース(ひとごとではない…)も多いのでしょうけど〕
 そういう学生がまた教師になって同じような演習を行いその学生が…という風な悪循環が繰り返されているのかもしれません(実証はできませんが)。日本の人文科学全体で巨大な諦念(どうせヨーロッパのことを研究して後々まで読まれるような作品を残すことはできないだろう)が形成されているようにも思えます。

 一学生としてできることは、そうならないように努力するということだけですが、組織的に問題点を検証して改善を行わなければ人文科学はいつまでたってもこのままなのかなとも思ってしまいます。

 〔なんだかとてつもなく生意気なことを書いてしまってちょっと後悔しているのですけど、根本的には間違ってはいないとやはり思うので残しておきます。ご意見があればコメント欄にどうぞ〕