驚異本

 地味な作業と平行して『自然の驚異と秩序』を少しずつ読み進めています。
 面白いのは、種としての奇形と個別に生まれてくる奇形が中世のヨーロッパでは区別されていたという点です(なんだか表現が分かりにくいですね…)。
 「遠い世界(アジアとかアフリカ)」に奇妙な形をした動物や人間がいるというのは、好奇心や恐怖の対象になったりするわけですが、それに対してすぐに何か対応しなければならないというわけではありません。
 しかし、奇形の子供や異常な現象が身の回りで生じると、それらは神からの直接的な警告(しかもしばしば不吉な出来事が起こることに対する警告)とみなされるため、すぐに対応しなければならず、そのため大きな関心を引いたそうです。
 奇形の赤ん坊としては次のような例が引用されていました。

 1429年の6月6日にAubervillierで二人の子供が生まれました。その子たちの姿はあなたがこの絵で見ている通りのものでした。私は自分で彼らを見てこの手で彼らを抱いたのです。本当です。
 ご覧の通り彼らは二つの頭、四つの腕、二つの首、四本の足を持っていました。それなのに腹部とへそは一つしか持っていませんでした。顔は二つ、背中は二つありました。
 彼らは洗礼をほどこされました。そして地面よりも上の部分で三日間の間置いておかれたのです。パリの人々がこの巨大な驚異を見ることができるようにするためにです。1万人以上の人々が、男性といわず女性といわず、彼らを見にパリからやってきたのです。本当です。
 彼らは朝の7時ごろに生まれ、聖クリストフの小さな教会で洗礼を受けました。そして右側はAgnesと、左側はJehanneと名づけられたのです。彼の父親はJean Discret、母親はGilletteでした。
 彼らは洗礼を受けてから1時間ほどの間生きておりました。

 哲学的なパートでは、13世紀までの哲学者たちが自然哲学において驚異というものに低い地位しか与えなかったことを、大学という組織が置かれていた状況と関連させて論じている部分が興味深いです。
 原因から出発する確実な知識ということに非常に多くの哲学者たちがこだわったことも、この点と関連させて論が立てられています。
 ただいまいち叙述が明確でなく、議論がつかめません。このあたりはダストンたちの主張というよりも2次文献から引っ張ってきたもののようです。