カゾボンとリプシウス

 カゾボン(Isaac Casaubon, 1559-1614)とリプシウスの関係を扱った文献。

  • 「『私たちは無知の最初の道を進んでいる』:変容する古典研究の世界におけるユストゥス・リプシウスとアイザック・カゾボン」 Gilbert Tournoy, "'Ad ultimas inscitiae lineas imus'. Justus Lipsius and Isaac Casaubon in the Changing World of Classical Scholarship", in The World of Justus Lipsius: A Contribution Towards his Intellectual Biography: Proceedings of a Colloquium held under the Auspices of the Belgian Historical Institute in Rome (Rome, 22-24 May 1997), ed. Marc Laureys (Turnhout: Brepols, 1998), 191-208.

 古代ローマに第一回三頭政治と第二回三頭政治があったように、16世紀の人文主義界隈でも二つの三頭政治があった。第一の三人はエラスムスメランヒトン、カメラリウス。第二の三人はリプシウス、スカリゲル、カゾボンである。

 こんな主張をNisardという人がしているらしいです*1。でもこの6人の中で一般に名前が知られているのはもはやエラスムスだけですね。カエサルポンペイウス、あるいはオクタウィアヌスアントニウスについては結構多くの人が知っているのに。

 で、この第二回三頭政治のうちの二人の関係を扱ったのが上記Tournoyの論文です。二人がいつ頃からやり取りをはじめ、いつ頃中断し、いつ頃再開したのかをまず述べます。それから具体的な内容に多少踏み込みつつ書くといったところです。

 個人的に面白かったのはカゾボンがリプシウスの『ストア哲学への手引き』と『ストア主義者たちの自然学』への感想を述べた箇所。

 Stoica tua legi pridem, incredibili quadam cum voluptate, ut semper omnia tua. Non poterat dilucidius aut elegantius id argumentum tractari. Nam quod nonnulla praetermiseris interdum, quae ex Graecis auctoribus potuisse adiici videntur, iudicio id factum interpretor, non quod illa te fugerint, sed quia ita visum tibi melius.

 ストア主義についてのあなたの著作を読みました。いつもあなたの著作を読むときと同じようにそれはもう大変な意欲を持って。この主題をあなた以上に明晰にかつ優雅に扱うことは不可能でした。

 さてギリシア著作家たちから加えることができるように思われるいくつかの点をあなたは時に省かれています。私の考えではこれはそれらの点にあなたが気がつかなかったからではなく、あなたがそうした方がよいと考えたからだと思われます。(207頁から引用)

 リプシウスはギリシア語があまりできなかった…いやまあ私なんかに比べたらそれはもうできたんだと思いますけど、とりあえずエラスムスとかカゾボンほどにはできなかったので、ギリシア語の資料にあまり当たれていなかったようです。

 これはこの前見たロングも言っていることです。

 しかし残念なことに、リプシウスの作品は体系的な思想としてストア主義を解釈することに関してはまったくの失敗であった。これには主に三つの理由が挙げられる。

 第1に、数多くの古代の資料を広汎にわたって使用したにもかかわらず、彼はガレノス、セクストス・エンペイリコス、アリストテレス注釈者たち、マルクス・アウレリウスなどの証拠をたんに知らなかったか、もしくは知っていても用いなかったのである。

 また彼はキケロによる引用を行ってはいるものの、それはセネカエピクテートスから彼が引いてきた量に比べればあまりにも少ない。こ-して彼はス-ア派の宇宙論に関して、より専門的な資料の多-を迂回してしまったのである*2

 『手引き』を読むと、セクストスやアウレリウスの著作中にストア主義についての豊富な資料があったことをリプシウスは知っていたことが分かります。でも確かにこの二人はあまり用いられません。資料として多用されるのはセネカディオゲネス・ラエルティオス、ストバイオスです。

 単純にギリシア語ができなという基準で考えるとディオゲネスもストバイオスもアウトですからね。何か好みに基準があったのかもしれません。

*1:Jason Lewis Saunders, Justus Lipsius: The Philosophy of Renaissance Stoicism (New York: Liberal Arts, 1955), 60-61.

*2:A. A. ロング、「哲学的伝統におけるストア主義」、『思想』、971号、45-78の59頁より引用。