テレージオとベーコン - Lernerの研究

  • Michel-Pierre Lerner, "Le 'parménidisme' de Telesio: origine et limites d'un hypothèse," in Bernardino Telesio e la cultura napoletana (Napoli: Guida, 1992), 79-105.

 中盤でベーコンがテレージオをパルメニデスと結びつけた典拠について論じられています。ベーコンによると、テレージオの物質理論はパルメニデスの哲学に基づいています。しかしパルメニデス本人の詩は断片的にしか残っておらず、しかも内容があいまいであるため、テレージオはそこに依拠することはできません。そこで彼が使ったのがプルタルコスの『De primo frigido』だとベーコンは主張します。ベーコン曰く、この著作はパルメニデス哲学を扱ったすでに失われた作品の引き写しなので、そこにはエレアの哲学者の意見が書かれているというのです。

 Lernerによるとベーコンの意見は正しくありません。第一にプルタルコスの議論はあくまで仮説的なものであると著者自身によって断られています。第二にプルタルコスの著作は極めて短いもので、そこで展開される議論がテレージオの包括的な自然哲学の基礎となったとは考えられません。第三にそもそもプルタルコスは当該著作の中でパルメニデスの名前を出していません。以上からLernerはプルタルコスを読むことでテレージオがパルメニデスの考えに触れ、それをもとに自らの物質理論を展開したという考えを否定します。

 このLernerの考えを認めるとしましょう。しかしベーコン研究の側からはいくつか疑問が残ります。第一にベーコンのプルタルコス情報のソースについてです。どうしてベーコンはプルタルコスの『De primo frigido』にパルメニデスの意見が書かれていると考えたのでしょうか。そこにはパルメニデスの名前は現れないというのに。またそもそもベーコンはどこからこのようなマニアックな作品の情報を得てきたのでしょうか。これらの点はプルタルコスに関するベーコンの知見が何か別のソースに基づいていた可能性を示唆します。

 もう一点は…。これはもう少し考えを練ってから書きましょう。とりあえず思い浮かぶのは、そもそもベーコンにとってパルメニデスというのはどういう物質論を唱えた哲学者として理解されていたのか、ということです。おそらくわれわれが持っているのとは違うパルメニデス像を有していて、それを自らの物質理論の正当化のために用いていると考えられます。これはパルメニデスの物質理論とデモクリトスの物質理論を同列に並べようとするところに端的に表れているように思われます。