ジョン・ロックが記録したエキノコックス症手術

6月12日。午後6時、部位をあらかじめ焼灼薬で焼いて麻痺させたのちに、腫瘍をメスで切開する。膿が皮膚の断片、いやむしろ血の混じった嚢胞の断片とともに流れ出た。この嚢胞はそれがもともとあった嚢胞の一部が裂かれたもののように思われた。また他の排泄物も混じっており、これは血の塊、いやむしろ肉の塊(不完全な肉の萌芽か、腐って分解した肉の欠片)のように思われた。この悪臭を放つ物質が5ないしは6オンス排出された。彼は傷のための煎剤を日に三度飲んだ。

 これはジョン・ロックが1668年6月12日に行われた手術の模様を書きとめたものです。患者はのちに初代シャフツベリー伯爵となるアンソニー・アシュレイ・クーパーでした。彼がかかっていたのはいまでいうところのエキノコックス症です。

エキノコックス症(えきのこっくすしょう)とは、エキノコックスという寄生虫によって引き起こされる感染症の1つである。エキノコッカス症、包虫症とも呼ばれる。キタキツネやイヌ、ネコ等の糞に混じったエキノコックスの卵を水や食物などからヒトが経口感染する事によって起こる人獣共通感染症である。卵は人の体内で幼虫になり、肝臓に寄生する。肝臓内で増殖し、致死的な肝機能障害を引き起こす。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%AD%E3%83%8E%E3%82%B3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E7%97%87

 身体の中に寄生虫がいるということはすでに古代から認識されていたものの、この時点ではクーパーのような患者の体内にある嚢胞の原因が寄生虫にあるとは分かっていませんでした。このことが理解されるのは約200年後の1852年をまたなければなりません。

 クーパーは1668年の5月に強烈な吐き気を覚え、その後も症状が悪化し続けました。6月には胸の部分に腫瘍が現れます。この腫瘍を同月12日に切開した記録が上記のものです。こうして切開した部位に銀のチューブを挿し込んで、膿を出す治療が行われます。紆余曲折を経ながらも、9月半ばには症状は改善し、患者であるクーパーはその後15年間生き続けることになりました。ただ彼は傷を塞ぐことはせず、銀のチューブを常に差し込んだまま生活していたそうです。

 この一連の成功裏に終わった手術の記録がいくつも残っています。ジョン・ロックも記録を残した人間の一人で、彼は6月から11月3日までの経過を詳細に書きとめています。AnsteyとPrincipeの論文はこのロックの手稿のみならず、シャフツベリー文書に残る関連する分所をすべて掘り出してきて掲載し、ラテン語の部分には英語訳を添えています。そのなかにはたとえばクーパーがチューブをとって傷を塞ぐべきか、それとも残しておくべきかを決めるために著名な医師たちに送った質問の手紙や、その質問に対する医師たちの解答が含まれています。この他にも、この記録には膿にパウダーをかけることで、膿の出所である傷を治そうという処方が行われたことが書かれています。傷にパウダーをかけるのではなく、そこから出てくる膿にかけるのは、そうすることで膿から何らかの共感力によって傷を治す力なり物質なりが発せられて、それが傷へと到達することで治癒に貢献するのではないかと考えられていたからです。この考えは医学史上有名ではあるものの、実際の処方例が詳しく書き留められた症例記録に現れることはまれです。その意味でもクーパーのエキノコックス症についての記録は貴重であると言えます。

 とにかく医学史上たいへん興味深い史料ですので関心のある方はぜひご一読を。医学史家はつべこべ言わず読むこと。しかしロックの記述を読んでいると、ほんとにクーパー痛そうです。うんこしようとしてベッドから身を起こしたら激痛で一時間悶絶とかそういう記述満載です。いてて。