初期近代の自然哲学:アリストテレス、テキストブック、ユダヤ人

The Cambridge History of Science: Volume 3, Early Modern Science

The Cambridge History of Science: Volume 3, Early Modern Science

  • Ann Blair, "Natural Philosophy," in The Cambridge History of Science: Vol. 3; Early Modern Science, ed. Katharine Park and Lorraine Daston (Cambridge: Cambridge University Press, 2006), 365–406.

 1500年代の自然哲学を語ろうとすると、その論述の中心はどうしてもアリストテレス主義の周囲をそれに近づいたり離れたりしながらまわることになります。確かにこの時代には伝統的な大学の自然哲学に対して多くの挑戦が行われました。人文主義者は大学教育の不毛さを嘲笑し、プラトン主義がよりキリスト教に親和的な哲学として称揚され、基本テキストが再発見されたヘレニズム哲学が従来にはなかった学説の選択肢を提供し、カルダーノらが革新的な自然哲学を提唱しました。しかしアリストテレス哲学ほどの体系性、伝統の持続性、新たな発見に適応する柔軟性を有する哲学はありませんでした。アリストテレスはいぜんとして印刷され、教えられ、研究される「哲学者 the Philosopher」だったのです。

 もちろんアリストテレス主義も変化をこうむっていました。1500年代には説教師や行政官を養成するためのニーズが高まることで、従来はより学習が進んだ段階で学ぶべきとされていた内容が、よりはやい年次で学ばれるようになりました。教育内容の過密化は従来よりも簡素で体系的で図式的にまとめられた哲学教科書の執筆へとつながります。また1500年代の終わりからは俗語でのアリストテレス自然哲学教科書が現れはじめます。これは私的に教育をうけている貴族の子弟、ラテン語が苦手な学生、知的野心を持つ理髪外科医、女性向けに書かれていました。

 宗教改革カトリックプロテスタント双方の陣営で、神への敬虔な信仰を養う活動として自然哲学の研究が正当化される度合いを高めました。1542年にフランシスコ会士が書いた『自然哲学要綱』という本では、自然学の分野は「ただ神について知るだけでなく、神への愛をかきたてるのに極めて重要である」とされています。プロテスタント側の教科書でも、自然哲学は神の摂理を明らかにする活動だとされるようになりました。

 もう一つ興味深いのが、自然哲学がキリスト教徒とユダヤ教徒が意見を同じくするような場として機能したということです。たとえばルドルフ二世の宮廷とつながりをもち、ティコやケプラーと親交を結んでいたユダヤ人David Gansは、自然哲学を神学的に中立的な領域とみなし、その分野での研究がユダヤ人の地位を向上させることにつながると考えていました。