16世紀の宗教的危機と公会議 Vasoli, "Expectations of Reform in Italy"

History of Theology: The Renaissance

History of Theology: The Renaissance

  • 「15世紀終わりから16世紀はじめのイタリアにおける後期人文主義の危機と改革への期待」Cesare Vasoli, "The Crisis of Late Humanism and Expectations of Reform in Italy at the End of Fifteenth and Beginning of the Sixteenth Centuries," in History of Theology III: Renaissance, ed. Giulio D'Onofrio, trans. Matthew J. O'Connell (Minnesota: Liturgical Press, 1998), 371–457.

 ルネサンス研究の第一人者の手になる概論です。1400年代の終わりから1500年代のはじまりにかけては、西欧社会のあらゆる層で堕落した信仰から原初の純粋なそれへ回帰が切望され、それを可能にする「天使的教皇」やら迫り来る審判やら反キリストの出現やらへの期待が高まっていました。このような状況で教皇ユリウス2世は第5回ラテラン公会議を1512年にひらきます。この会議は公に教皇権が教会の改革を宣言し、迫り来る危険への防壁を構築する絶好の機会ではありました。

 しかしそのような状況の中で会議が下した決定は待望されていた教会改革を実現するようなものではありませんでした。教会の聖職者の規律の強化という抜本的とはいいがたい決定が下されたほか、教会の許可を得ていない著作物の印刷を禁じたり、許可を得ない説教を行うことが禁じられました。将来の災厄や反キリストの到来や最後の審判を説教を行ったものは破門とされます。教会の上層部は印刷技術や説教といった「大量言説普及システム」(赤江雄一)の危険性をよく認識していたものの、宗教の改革を求め、純粋な福音への回帰を切望する運動がなぜ起こっているのかを理解することに関心はさほどなく、権益争いにあけくれていました。

 すべての知識と徳の源泉としての福音的真理を求める宣言で公会議は幕を閉じました。1517年のことです。

関連書籍

  • L. von Pastor, History of the Popes from the End of the Middle Ages 8 (St. Louis, 1923), 384–413.