初期近代の教室と図書館  Grafton, "Libraries and Lecture Halls"

The Cambridge History of Science: Volume 3, Early Modern Science

The Cambridge History of Science: Volume 3, Early Modern Science

  • Anthony Grafton, "Libraries and Lecture Halls," in The Cambridge History of Science: Vol. 3; Early Modern Science, ed. Katharine Park and Lorraine Daston (Cambridge: Cambridge University Press, 2006), 238–50.

 引き続き『ケンブリッジ科学史:初期近代の科学』から、グラフトンによる「図書館とレクチャーホール」と題された一章です。1500年から1600年にかけては「人の書いた書物ではなくて神の書いた自然という書物を読むべきだ」というスローガンがたびたび唱えられました。実際、パラケルススは大学で医学教育の教科書として用いられていたアヴィセンナの『医学典範』を焼き払い(やっぱり焼くんですね)、医師は「老婆、エジプト人たち」といった人々の経験に基づいた言葉に耳を傾けなければならないとしていました。しかし実際にはいかなる教育改革者も過去に書かれた書物を教育の中核に置くことをやめることはできませんでした。もちろん新たな題材が持ち込まれることも多かったものの(演説の執筆や芝居の実演)、学識ある男とみなされるためにはまずは本を学んでいなければなりませんでした。

 教育で行われていた典型的な授業とは次のようなものでした。まず教師がテキストを声に出して読みます。それからまずそのテキストが誰によって書かれたのか、どのようなジャンルに属するのかが解説されます。それから教師は内容を一語一語より簡単なラテン語パラフレーズしていきます。複雑な語順で書かれた韻文は単純な散文へと直されましたし、散文であってもタキトゥスのようなまあアレなテキストはより簡単な構文へと直されました。そのあとではじめて難解な部分を説明し、神話への言及や歴史的背景が解説されます。進捗スピードはたいてい遅く、1時間かけて30行から40行の韻文を読むということもざらでした。生徒たちは授業を聞きながら、またチューターの指導のもとで自分が持つ書物のマージン、ないしはノートブックにメモを書きこんでいきました。

 テキストに基づいた授業というのは保守的で硬直的と思われるかもしれません。しかし初期近代の学者たちは新たなテキスト解説の仕方を模索するなどして、新奇な知見や方法論上の革新を授業に反映させることにつとめていました。そのような試みはしばしばそれなりの成果をあげていたことを忘れてはなりません。

 このような環境では図書館の重要性とは極めて高いものでした。王権や支配貴族が設立した図書館はしばしばアクセスが厳しく制限されていましたし、大学の図書館でも使用が困難になることがありました。たとえばあるライデン大学の教授は司書(というかダニエル・ハインシウス!)に蠍のように嫌われていたため、大学教授のなかで一人だけ図書館の鍵を持っていないというかわいそうな状況に追いこまれていました。図書館の一般公開は2週間に一度、それも数時間程度行われるだけだったので、実質的に彼は大学図書館から排除されていたことになります。このような状況では生徒たち、そしてある程度までは教授たちもよく使用する本については自らの個人蔵書に頼らざるをえませんでした。

 しかし図書館が次第にひらかれたものになっていったことも事実です。メディチ家が設立したサンマルコ図書室の写本を閲覧できたことは、フィチーノやピコの自然哲学関係の著作を貴重な写本からの引用で満たすことになりました。このモデルは北にも伝わります。ジョン・ディーやアルドロバンディの図書室では、書物のコレクションは自然から採集された事物と並置されていました。写本を読むことと、採集されてきた事物を観察することが彼らの自然探求の両輪でした。

 図書館での活動は科学活動のモデルをより深いレベルでも規定しました。宗教改革以降、図書館は宗派間の論争のための武器のようなものと化していました。そこでは教会史についての体系的なコレクションが揃えられ、それをもとに学者たちが共同作業を行っていました。著作から抜き書きをつくる者、それらを統合して文章をつくりだす者、さらにそれを改訂する者といった具合です。

 この図書館での共同作業こそ、フランシス・ベーコンが理想的な科学研究のモデルとみなしたものでした。彼が『ニュー・アトランティス』で描き出した学者たちの共同研究のありさまというのは、当時の歴史研究の場での実践から着想を得たものでした。新たな知識は図書館にはないと考えていたベーコンが、実は図書館から新たな知識を生み出す実践のヒントを得ていたことに、図書館が提供していた文化的リソースの巨大さをうかがうことができます。