アリストテレス主義のハードコア Thijssen, "Some Reflections on Continuity and Transformation of Aristotelianism"

  • J. M. M. Hans Thijssen, "Some Reflections on Continuity and Transformation of Aristotelianism in Medieval (and Renaissance) Natural Philosophy," Documenti e studi sulla tradizione filosofica medievale 2 (1991): 503–28.

 チャールズ・シュミットが提出した複数のアリストテレス主義(Aristotelianisms)という問題設定は多くの中世・ルネサンスの思想史研究者に受け入れられました。しかしもしアリストテレス主義として名指されるものが実際には複数形でしかあらわされないような現象なら、もはやアリストテレス主義というカテゴリーを歴史分析のための概念装置として用いることができなくなてしまうのではないでしょうか。もしそれができるなら、アリストテレス主義にはやはり何らかの連続性と統一性がなければなりません。

 アリストテレス主義の統一性について、シュミット自身は様々なアリストテレス主義には家族的類似性があると述べてそれを確保しようとしています。しかしこれは便利なメタファーというのがせいぜいで何も説明していません。もうひとつはエドワード・グラントのアプローチで、アリストテレス主義には一定の本質があるとするものです。この本質というのは一定の学説を支持するかしないかで決まるとされます。

 著者はこの後者のアプローチをとりながらもそれに修正を加えます。アリストテレス主義のハードコアというのは個別の命題群への支持として抽出されるべきではありません。それはより一般的で抽象的な、いわば固有の世界観によって規定されるべきだというのです。この世界観とは現実を解釈するための基本的格子です。たとえば存在の種を決定するのは形相であるとか、月下界は四元素で構成されているとか、現実は現実態と可能態の関係の観点から分析されねばならないとかいうものです。アリストテレス主義者たちがこのような基本的世界観を共有するにいたったのは、アリストテレスの著作が大学教育の基本テキストとなっていたからです。この教育により彼らは前記の世界観を内面化しました。同時に彼らは自然世界についての正しい解釈というのは、アリストテレスの著作にすでにその基本は書かれていると考えるにいたりました。これにより中世からルネサンスの自然哲学は「自然なき哲学」(マードック)となります。

 これらの基本的な世界観の下部に位置する個別的な論点では多様な意見が生まれました。この多様性の原因としては以下の4つが考えられます。1) そもそもアリストテレスが何いってんのかわかん。2) そこからアリストテレス以降の多くの解釈者の諸解釈が堆積していた。3) 経験的事実とアリストテレスのテキスト解釈を一致させる必要があった。4) それぞれの解釈ががそれぞれ言いたいことがあった。

 アリストテレスの哲学がかくも長いあいだ命脈をたもったことも以上の考察から説明できます。まずアリストテレスの哲学は緊密な一貫性と徹底した網羅性を持っていたわけではありませんでした。それはテキスト相互のあいだの不一致や、他の著述家の言葉、ないしは経験的事実との不一致を含むものでした。これは解釈上の困難を引き起こします。しかし同時にその困難を解消するために生み出された新たな解釈を内に取り込むことの出来る柔軟性を体系がもっていたとも言えます。もうひとつは自然解釈がテキスト解釈を通じて行われ、このテキスト解釈というのは(よく知られているように)根本的に柔軟性をもつ営みであったということです。

 シュミットのようにアリストテレス主義の多様性を強調しすぎるのではなく、時代も地域も異なる様々な論者のあいだに世界観レベルでの連続性と一貫性を認めることで、アリストテレス主義を有効な歴史的概念装置として使い続ける基礎を提供することができたのではないかと著者はしています。

メモ

  • 具体的な議論として混合と無限の問題があげられている。前者にかんしては、形相と質の概念をつかって、アリストテレスの元素のvirtusが混合中で残るという問題の立て方がアリストテレス主義の枠組みを提供していたとされる。これが崩れるのがボイル(p. 522)。