存在の連鎖 その3 Mahoney, "Metaphysical Foundations"

Philosophies of Existence: Ancient and Mediaeval

Philosophies of Existence: Ancient and Mediaeval

  • E. P. Mahoney, "Metaphysical Foundations of the Hierarchy of Being according to Some Late Medieval and Renaissance Philosophers," in Philosophies of Existence Ancient and Medieval, ed. Parviz Morewedge (New York: Fordham University Press, 1982), 165-257.

 存在の階層構造理論のルネサンス期の展開を追った部分です(186–204)。ここで問題になった論点は主として2つでした。一つは、無限である神がはたして他の有限なものの尺度になれるのかという問いです。もう一つは、存在階層における事物の位置づけというのは頂点の神からではなく、最下層の非存在から測られるべきだというリチャード・スワインズヘッドの学説でした(これで第一の問題を回避することができる)。

 ベッサリオン枢機卿は神が尺度となれるかという問いにたいして、被造物と創造主との関係は、創造主を無限の存在として把握することによってもできる一方で、創造主を他のものよりも完全性の高い存在と把握することによってもできると主張しました。後者の場合であれば、神は無限存在としてとらえられる必要はないので、万物の尺度となることができます。マルシリオ・フィチーノもまた神が万物の尺度であり、最高の完成度を誇ると主張しました。しかし彼は同時に無限の神の完成度には際限がないと語っています。ここに彼の側での一貫性の欠如をみてとることができるかもしれません。

 対照的に、アリストテレス主義者のヴェネツィアパウルスは事物の位置づけは最下層の事物からの距離で測られなければならないとしました。パウルスの生徒であるティエーネのガエタノと、ガエタノの生徒であるニコレット・ヴェルニアは存在階層理論に関心を寄せていません。ガブリエル・ツェルボは事物の完成度を決めるのは神への接近の度合いであるかどうか自分は判断できないと述べています(ただし彼はスワインズヘッドの議論は論証的ではないと否定していました)。ドメニコ・グリマニ枢機卿はスワインズヘッドの著作への注釈の中で、神は万物の尺度であると断言しています。ピエトロ・ポンポナッツィもアリストテレスの解釈として神は万物の尺度だとして、スワインズヘッドを批判しました。アントニオ・トロンベッタも同じ立場です。トロンベッタがスコトゥスに忠実に、尺度として最下層の質料の役割を省いたのに対して、トマス主義者のヴィオのトマスは神と第一質料の双方を尺度として認めています。

 アゴスティノ・ニフォはアヴェロエス『破壊の破壊』への注釈(1497年)で、神以外の事物はすべて完全性の度合いと不完全性の度合いを有していると主張しました。アヴェロエスに階層構造を読み込む解釈はマルカントニオ・ツィマラにも受け継がれました。彼はスワインズヘッドの見解を否定して、神は万物の尺度であると主張しました。確かに神はそれ自体では無限であるけれど、被造物によって模倣可能でそれに与ることのできる対象としてとらえられた場合は、無限ではなくそれゆえ尺度たりえるというのです。一方アレサンドロ・アキリニは存在の階層構造は神からの距離ではなく、最下層の完全性ゼロの地点からの距離によって測られるべきだと考えました。