あらゆる学問が辞書に… 初期近代におけるレファレンス書への不満

Too Much to Know: Managing Scholarly Information before the Modern Age

Too Much to Know: Managing Scholarly Information before the Modern Age

  • Ann M. Blair, Too Much to Know: Managing Scholarly Information before the Modern Age (New Haven: Yale University Press, 2010), 251–56.

 Blairの本の最終章を読みました。全体のまとめは別の場所にあるので、ここではレファレンス書への不満についての箇所をまとめます。初期近代にはレファレンス書への不満が多く述べられました。それらのうちのあるものは中世以来のものであり、あるものは初期近代に新たに提出されるようになったものでした。いずれにしても、その不満によってレファレンス書の生産が減少したということはまったくありませんでした。しかし同時にレファレンス書に対する不満が新たな学問のあり方の理想像を形作るという役割を果たしたことも見逃してはなりません。

 中世以来、レファレンス書によって諸著作のエッセンスが引用されたり要約されたりするとオリジナルが失われるのではないかという懸念がありました。この懸念は初期近代では薄らぎます。むしろ中世から初期近代にかけて継続的に表明されていた不満は、レファレンス書に依拠することで読者はオリジナルを読まなくなり、それによっていちどレファレンス書が犯した誤りが修正されることなく引きつがれていくというものでした。

 またレファレンス書に依拠することで、オリジナルを読み考察を加えて抜き書きを行うということがおこなわれなくなり、容易に身につけることができるが反省を欠いた空疎な学識が生み出されることを教育者たちは懸念していました。さらにレファレンス書を利用することで言うべきことが何もないような者でも形式的には書物を書けてしまうようになるということを危惧する声もありました。スウィフトは「頭は空っぽなのにコモンプレイスブックで一杯」な人物をあざけっています。レファレンス書が増加し利用が容易になることで、過去の著作からの引用はますます簡単になり、その結果として、単に適切な文言を使えることができるだけでなく、その元々のコンテキストを理解しているかを示せることがどうかが学識の証しとして機能するようになったのです。

 レファレンス書への不満の根本にあったのは、ラテン語を身につけているということの地位が低化してきているということへの認識がありました。「あまりに多い要約、あまりに多い新たな方法、あまりに多い索引、あまりに多い辞書、これらがかつて学識ある人々をつくりだしていた生き生きとした情熱を抑えつけてしまっている。…今日ではあらゆる学問が主に辞書と化してしまっている。学問に深く入り込むために別の鍵を探し求める者はいない」。これはある人物が18世紀前半に発した言葉です(ここ)。レファレンス書があまりに広く利用可能になり、(主としてラテン語で書かれた)古典の権威を読み込みそこに範を取るという営みが危機にひんしていると彼は考えていました。

 レファレンス書の利用を知の源泉への不当なショートカットとみなす人物がいる一方で、デカルトはそもそも古代人の権威に依拠すること自体が不当なショートカットであると考えました。デカルトによれば古代の権威ではなくて、自分の頭で考え、第一原理を発見し、そこから出発して新たな哲学をつくりあげる必要がありました。こうしてレファレンス書は新旧派の対立の中で、両派から不当なものとして攻撃されることになったのです。