形成的自然 Hunter, "The Seventeenth Century Doctrine of Plastic Nature"

  • William B. Hunter, Jr., "The Seventeenth Century Doctrine of Plastic Nature," Harvard Theological Review 43 (1950): 197–213, repr. in Hunter, The Descent of Urania: Studies in Milton, 1946–1988 (Lewisburg, PA: Bucknell University Press, 1989), 149–63.

 形成的自然に関する基本論文です。17世紀の中頃から、イギリスの知識人たちの多くが形成的自然、ないしはそれに類する概念を自然現象の説明に導入しはじめます。それはデカルトのように質料を不活性なものとみなしながら、同時に世界から非物質で霊的な存在を取り去らないようにするための試みでした。「形成的 plastic」という言葉が最初を英国で最初に使ったのは、ヘンリー・モアで1642年であったと思われます。当時、この言葉の意味はよく了解されていなかったようです。1658年に形成的原理という言葉を使ったトマス・ブラウンに対して、ヘンリ・パワーは「あなたが『小さい粒子のなかに宿っている』という形成的原理というのはなんですか。私にはよく理解できません」と手紙を送っています。しかしケンブリッジ大学神学者たち(モアやラルフ・カドワース)がホッブズのような物質主義者に対抗するため、形成的自然の概念を多用したことにより、この概念は広く流通するようになりました。

 形成的自然概念の特徴はアウグスティヌスの唱えた種子的理性と同じです。それは神によって与えられた非物質的で霊的な力です。しかしそのような霊的な力の中では最下位に属するもので、自己意識や判断力は持ちません。物質内部から働くこの力は、多くの論者にとって植物が持つ霊魂と同じものでした。形成的自然が神の道具として機能するがゆえに、世界が完全に物質のランダムな衝突に還元されることはありません。また道具があるために神が直接的に世界に介入するということもなくなります。形成的自然は神でないがゆえに、何かの調子でうまく機能しなくなることがあります。ここから畸形が生まれます。またそれは自意識を欠くがゆえに、時にところかまわず働きます。これが地中で働くと化石ができるというわけです。化石のみならず規則的な形をとって形成される鉱物の生成は、しばしば地中にある形成的自然の作用に帰されました(ゼンネルト、ボイル)。

 こうして形成的自然の観念は17世紀中頃の英国の多くの知識人によって援用されました。しかし次第にそれは信憑性を失っていきます。ある作用があるのはある作用を起こす非物質的な何かがあるはずだという説明は、実は何の説明でもないのではないかとされたのです。この観念が再び哲学者によって用いられるには、バークリーを待たねばなりませんでした。