歴史をもたない科学 パイエンソン「科学と帝国主義」

 科学と帝国主義という主題は、日本の雑誌でも特集が組まれるくらい多大な関心をひいてきました。この視角についての基本文献であるパイエンソンの論文を読みました。精密科学の諸理論が非西洋圏で熱心に学び吸収されるのは、それを会得していることが文明化のあかしとみなされていたからです。この意味で精密科学の伝播は文化帝国主義の一側面を構成します。植民地では科学研究の施設が建設され、そこに本国から科学者が送り込まれます。植民地において科学がどう利用されたかをみるためには、この(科学という)本国文化を喧伝するために送り込まれた科学者たちの活動に焦点を当てる必要があります。たとえばフランス領西アフリカにフランスから送り込まれたエドュアール・ド・マルトンヌは、自分のような者たちが植民地で科学研究を行うことにより、非支配者たちが「永遠の子供時代を少しずつ」乗り越えることを手伝うであろうとしています。だが同時に「科学による自然の支配は、自然のあらゆる側面を恐れる未開民族に特異な尊敬を引き起こす」がゆえに、彼らの「あまりに早計な生意気をわれわれの科学的優越性を示すことによって鎮静するのが賢明である」。

 科学者たちに焦点を合わせた科学と帝国主義をめぐる研究は、比較史の視座から行われなくてはなりません。異なった地域で科学活動がどのように実践されたかを考察するのです。このような比較を行うならば、各国について次のような特徴を指摘することができます。フランスから送り込まれた科学者は、基本的に役人であり、本国での研究のために観測や情報収集を行うことが期待されていました。独創的な研究は目指されません。ドイツでは対照的に新知識を得るための科学研究が植民地でも行われました。ベルギーとカナダでは技術上の問題を現地の科学者が解くことが期待されていました。オランダでは以上のような、国家に奉仕する役割、純粋研究上の期待、商業的な関心がすべて結合していました。アメリカでは研究志向と本国への順応が結合しており、イギリスでは研究志向と商業的関心が結合しています。日本ではこれが商業と国家奉仕の結合になります。以上挙げてきた三つの観点について、いずれも強い志向性を有さないのがイベリア半島の国々でした。これらの文化帝国主義の国ごとのスタイルは、本国での教育・社会・経済的条件と突き合わせる形で考察されなくてはなりません。

 以上のような視座から、従来のヨーロッパとアメリカ合衆国への集中から脱し、「今日までほとんど歴史をもたないままでいた科学」を理解するよう努めることが必要であると著者は主張します。