結びつく自然と天界 Genequand, “Quelques aspects de l’idée de nature d’Aristote à al-Ghazâlî" #1

  • Charles Genequand, “Quelques aspects de l’idée de nature d’Aristote à al-Ghazâlî," Revue de théologie et de philosophie 116 (1984): 105–129.

 アリストテレスに発する伝統内における自然概念の歴史を扱った重要な論考です。まずはアフロディシアスのアレクサンドロスまでを扱った前半部分をまとめます(今回のまとめには私なりの解釈が入ってしまっています)。

 アリストテレスにとって自然とは個々の事物に内在する運動の原理でした。自然は決められた目的を達成するために運動を起こし、たいていの場合はその目的を達成します。この目的に沿った規則性という点で自然は技術と共通しています。というよりも技術は自然のこの側面を模倣しているとされます。しかしアリストテレスの哲学体系のうちには、事物に内在する自然原理が自然界の規則性を保証するという考えとは異なる考えの道筋が存在します。それは神である第一の不動の動者が秩序の淵源であるという考え方です。内在的な自然と神との関係をどう理解するべきか。ここがアリストテレスの残した文書からは必ずしも明確でないように見えます。すでに彼の弟子であり同僚であるテオフラストスは、神に近い天と月下界を一体のものとして理解せねばならないと説いて、アリストテレスの体系に整合性をもたらそうとしていました。

 2世紀の医学者ガレノスもまたアリストテレスと同じく自律性、規則性、目的性を備えた自然概念を提唱し、それを技術と類比させていました。ただし彼においては天と自然との結びつきは強くなっています。ガレノスにとって自然とは万物に浸透する力であり、この力は何よりもまず天にあり、そこから地球へもたらされるというのです。これが万物に浸透していることは汚物から動物が発生するという自然発生の事例から明らかであるといいます。汚物にすら秩序を自律的に生み出す力が宿っているのですから。

 ガレノスと同時代人のアレクサンドロスもまた自然と技術を類比させています。技術と自然はともに目的を規則的に達成します。しかし技術には技術者側の思慮がともなうのにたいして、自然の過程には思慮が入り込む余地はありません。「技術は理性的な力であり、それにたいして自然は非理性的な力である」。なぜ非理性的なのに規則的な成果を生むのでしょう。自然のことを「神的な技術」と呼びながら、アレクサンドロスは次のように説明します。

実際のところ自然が神的な技術と呼ばれるのは、[中略]それが神々に由来する力として、運動の規則性を何らかの連続的な調和のもとで保存するからである。その保存は理性的算段や思惟によってではなく、その力が神々に由来することから起こる。

神々がいるのは天の領域なので、ここでアレクサンドロスは天に由来する神的な力を自然と解釈していることになります。天(神々)とのつながりを確保しているからこそ、非理性的でありながら規則性を保存することが自然には可能なのです。