テミスティオスとシンプリキオスにおける自然 Genequand, “Quelques aspects de l’idée de nature d’Aristote à al-Ghazâlî" #2

  • Charles Genequand, “Quelques aspects de l’idée de nature d’Aristote à al-Ghazâlî," Revue de théologie et de philosophie 116 (1984): 105–129.

 今日はアレクサンドロスに続いて扱われるギリシア人注釈家であるテミスティオスとシンプリキオスの自然概念を扱った部分を簡単に。テミスティオスもまたアレクサンドロスと同じく自然が非理性的であると考えました。ではなぜ秩序が?それはこの自然が世界霊魂に由来するからであるといいます。世界を統御する包括的霊魂の一部だからこそ、それ自体としては非理性的であっても自然は秩序をもたらすことができる。この世界霊魂はプラトンによれば神々(デミウルゴスの下にいるとされる)、アリストテレスによれば太陽とその黄道によってもたらされるものだとテミスティオスは考えました。

 一方シンプリキオスはアレクサンドロスに反対して、自然を非理性的と呼ぶことを拒否します。それではまるで自然がいかなる理性をも持ち合わせていないかのように聞こえてしまうからです。しかし自然にみられる規則性はそこに何らかの理性があることを示しているとシンプリキオスはいいます。自然は選択や思考こそしていないものの理性的であると考えなければならない。それが理性をあらわす規則的な効果をもたらすことができるのは、ちょうど一定の形にかたどられた印章が、その印章自体の選択とは無関係に蝋に一定の形状の印を押せるのと同じであるという。しかしそうすると印の本当の原因者が印章を彫って押した人間であるのと同じように、自然にみられる規則性の本当の原因は自然そのものではなくて、自然をつくったものということになります。「アリストテレスがここで自然と呼んでいるものは神のことだ」というシンプリキオスの言明が彼の答えを端的に物語ります。