かつての生理学 Cunningham, "The Pen and the Sword I"

 長い論文ですけど言っていることは単純です。生理学の歴史を書こうとすると、1800年代の前半にその意味が変化していることが躓きの石となります。その時期に実験生理学が成立し、これまでの生理学というディシプリンに置き換わりました。それ以後に生理学の歴史を記述した多くの者は、この新しい実験生理学をそれが成立する以前の過去に投影してしまいます。その結果、かつては生理学であったものが生理学とはみなされず、逆に生理学ではなく解剖学であったものが生理学とみなされるようになりました。これを避けるためにはまず1800年代までに生理学とはなんであったかが確定されなければなりません。それは人間(ないしは動物)の本性の探求を通じて、人間の身体がどのようなもので、それはどのように機能し、またなぜそのように機能するかを明らかにする学問とみなされていました。ここで大きな特徴となるのがその理論的な正確です。生理学は解剖学から得られる経験的な知見を元に、推論により経験では到達できない事柄(観察出来ない微小部分、霊魂、精気、栄養摂取の仕組みなど)を明らかにするものと考えられました。この意味で実践的解剖学は理論的生理学に従属し、その理論構築のための出発点を提供するものとなります。この生理学と解剖学の関係が崩れるのが1800年代の前半です。実験生理学の提唱者であるフランソワ・マジャンディーは、物理学や化学は実験に還元されたのに、生理学はいまだに思弁的な学問にとどまっている。生理学を実験に還元せねばならない。そうして生理学に「帰納というベーコン的方法を導入」せねばならないと主張しました。こうして生理学は実験からの帰納により身体機能の仕組みを探求する学問になります。実験生理学はかつての解剖学と生理学の両面を受け継いでいる学問として誕生したのです。

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