誰が貧しき者なのか ブラウン『貧者を愛する者』第2章

貧者を愛する者―古代末期におけるキリスト教的慈善の誕生

貧者を愛する者―古代末期におけるキリスト教的慈善の誕生

  • ピーター・ブラウン『貧者を愛する者 古代末期におけるキリスト教的慈善の誕生』戸田聡訳、慶應義塾大学出版会、2012年、81–133ページ。

 第1章ではキリスト教のうちで貧者を愛することが重要な徳目となった過程が分析されました。第2章ではそこで配慮の対象となった「貧者」がどのような人々であったかが論じられます。まずは聖職者たちが残した説教に現れる貧者像を当時の社会そのままの反映として受け取らないことが大切です。彼らの説教からは後期ローマ帝国は非常に裕福な極少数のものたちと、無一文に近い貧困層に二極分化していた像が浮かび上がります。しかし近年の考古学調査からは、この二極のあいだにある中間層が大量にいたことが明らかになっています。この者たちは無一文ではないものの、決して豊かではなく、むしろ簡単な運命の変転で最下の貧困へと落ちてしまう可能性を持っていました。教会はその下級聖職者をこの層から吸い上げていましたし、その財産もこの人々からの持続的な喜捨に依存していました。自らの存続の基盤であったからこそ教会はこの層の人々が極貧に陥りそうになったときには救済に乗りだしました。「脆弱な『真ん中へん』の人々の立場を安定させることが、教会の日々の仕事だったのです」(105ページ)。このとき保護の対象として寡婦と孤児がクローズアップされるのは不思議なことではありません。家族の食い扶持を稼ぐ男性が死んだり行方不明になることは、その成員が貧困に陥る最大の原因だったからです。庇護を受ける人々はそれを一つの権利として積極的に要求しました。その背後には中東に古くからある(そして旧約聖書に現れる)、貧しい者を救う正義をなすものこそ王の資格があるという考えがありました(時代が下るにつれてこの考えが強く出てくる)。このようないわば貧困をめぐる配慮の経済学に参画していたのは、あくまで自由人であったことも忘れてはなりません。帝国後期の社会には多くの奴隷がいたものの、彼らが守るべき対象として意識されることはありませんでした。むしろ奴隷が生みだした物資を使って教会は「貧者」を助けるのです。