ダニエル・ゼンネルトの形相理論 Michael, "Daniel Sennert on Matter and Form"

  • Emily Michael, "Daniel Sennert on Matter and Form: At the Juncture of the Old and the New," Early Science and Medicine 2 (1997): 272–99.

 中世以来の形相理論の伝統のうちにダニエル・ゼンネルト(1572–1637)を置くことで、彼の思想を駆動していた動機を特定しようとする論文です。発生理論から議論を発展させる点で、ヒロ・ヒライの近著に先駆ける鋭い着眼点を示しています。

 トマス・アクィナスはひとつの実体は形相をひとつだけ持つと考えました。この考えの支持者も多く現われたものの、対立する見解も有力な学説として支持を集めます。それはひとつの実体のうちに複数の形相の併存を認めるものです。この複数説はパドヴァボローニャを中心とするルネサンス期のイタリアの大学で幅広い支持を集めます。パドヴァのヤコポ・ザバレラ(1533–89)の著作をひとつの情報源として、複数説はドイツの諸大学でも受け入れられることになりました。

 ヴィッテンベルク大学のゼンネルトもまたザバレラにならって形相の複数説をとっていました。原子論者であると同時にアリストテレス主義者であった彼は、第一質料と形相の結合体である四元素の原子がさまざまな物質を構成していると考えました。1618年の著作のなかでは、これらの原子が互いに結合すると、それぞれが持つ形相が互いに影響しあって、新しい結合体の形相が出現するというザバレラ(そしてアヴェロエス)説を彼を支持しています。

 しかし1633年の著作では見解に変化がみられます。そこでは結合体中での構成物質の形相は一切の変化を受けることなく保存されるというのです(アヴィセンナの立場)。なぜこのような変化が生じたのか。それは形相に関する理論的考察をゼンネルトが深めたからであると著者はいいます。最晩年の著作『自然学研究 Hypomnemata physica』(1637年)では、生物の発生のときに、各器官が形成されたあとにその生物の原理である霊魂が生じるという考えが批判されます。代わりにゼンネルトが提唱したのは、すでに受精のときから生物の霊魂は存在しており、その後の各器官の形成もこの霊魂が行うという理論でした。実はこの理論の骨子は最初期の1600年の著作から一貫して主張されていたものでした。

 ゼンネルトがこの理論を支持するにいたったのにはいくつかの理由があったと考えられます。まず中絶後の胎児を観察すると、受精のすぐあとに成長がはじまっていることがわかります。大工が完成品の形相を思い浮かべながら素材を形成するように、胎児の形相も完成品たる生物の霊魂によってつかさどられると考えるべきです。では生物の場合、大工にあたるのは何なのか。それは世界を創造した神であるとゼンネルトはいいます。世界の最初に生物種ごとに固有の形相が創造され、それが現在にいたるまで発生の時に自己増殖を続けていまにいたるというのです。この考えは、神による人間霊魂の創造という奇跡を、最初のアダムの霊魂の創造に限定し、以後はその霊魂が伝承され続けているとするルター派の霊魂伝移説とも整合的でした。

 このような発生理論を形相一般に拡張するとどうなるでしょう。ある形相が下位の形相の相互作用の結果生じるとはもはや考えられなくなります。形相は世界の最初からあったのですから。とすると下位の形相も上位の形相も、たとえ複合体のうちでも独立に存在し続けることになります。このように考えるにいたったことにより、アヴェロエス=ザバレラ的な形相の相互作用という学説を放棄し、形相が全面的に保存されるという理論にゼンネルトは移行したのだと著者はします。言い方を変えるならば、ゼンネルトにとってまず確保すべき点は、形相が創造時から増殖を続けて今にいたるということであったと言えます。不変の原子という着想は形相について考察を深めることから来ていたということになります。