キリストを介した善の希求 谷「神への関与のアナロギア」

中世における信仰と知 (中世研究)

中世における信仰と知 (中世研究)

  • 谷隆一郎「神への関与のアナロギア 擬ディオニュシオスから証言者マクシモスへ」上智大学中世思想研究所編『中世における信仰と知』知泉書院、2013年、77–101ページ。

 擬ディオニュシオス・アレオパギテース(6世紀はじめ頃)と証聖者マクシモス(580–662)が、人間がより多く神に関与するための道筋についていかなることを考えていたかを明らかにする論文である。擬ディオニュシオスはあらゆる存在は善を希求しており、とりわけ人間は善き意志を持って希求することにより、より多く神に与ることになると考えた。この思想はマクシモスにも継承されている。ではなぜ人間の善き意志は神への接近を可能にし、また神の側はそのような人間の意志に開かれているのか。擬ディオニュシオスによれば、その根拠は神として受肉したイエス・キリストにある。キリストの受肉によりその働きが人に示されたがゆえに、その神人としての存在への愛へと人間は促され、その善き意志から神へと上昇していくのである。擬ディオニュシオスとマクシモスの思想には、神を否定するのでもなく、さりとて神を超越の彼方に消去してしまうのでもなく、イエス・キリストを根拠に意志によって神へと与っていく道筋が確保されていたと言える。

より短いまとめ

谷隆一郎「神への関与のアナロギア 擬ディオニュシオスから証言者マクシモスへ」は、擬ディオニュシオス・アレオパギテース(6世紀はじめ頃)と証聖者マクシモス(580–662)の思想において、意志により善を希求することで人間が神へと与っていく道筋が確保されていたことを明らかにするものである。そのとき上昇の根拠とされるのが受肉したイエス・キリストなのであった。