ヴィクトリア朝期科学における視覚化 Schaffer, "Transport Phenomena"

 ヴィクトリア時代の科学と視覚的表現をめぐる論考をざっと読む。議論の中心の一つは、研究室や実験室での調査活動と、一般大衆の耳目をあつめるために自然現象を視覚的に見せる派手なショーという二項対立を崩すことにある。もう一つの焦点は、現象を再現することにともなう含意として空間と倫理(権威)にかかわることがらを持ち出すところだろう。

 ヴィクトリア時代に一般向けに科学研究の成果を見せるイベントが盛んに行われたことは事実である。しかしそれはたんに実験室のなかで得られた成果を単純に外で再現してみせるという行為ではなかった。おおくの場合一瞬しか持続しない現象を裸眼でみえるかたちで映写機により映しだしてみせることは、単なる見せもののための技術ではなく、むしろラボと一般向けの講演会場の双方で細心の注意を払って科学者たちによって実践されていた行為であった。こうした活動はまた視覚化が行われる場所をめぐる深い洞察を必要とするものであった。たとえば現象を起こすための素材の性質が異なれば、それにあわせて機器を調整しなければならなかった。それにまた一般向けにそれを見せる場合、観客がそれを適切に、科学者が思うとおりにみることができるよう、空間的配置などを調整する必要があった。視覚化活動はそれが行われる地理(geography)へのするどい感覚を必要とするものだったのだ。最後にこの活動は倫理的・社会的な意味合いも持っていた。通常では人の目に止まらない一瞬のはかない現象を、誰もがどこでもみえるように視覚化してみせることで、科学者はその現象を統御化においたものとして自らを権威付けることができたのである。この視覚化の活動はシネマトグラフの発明後は、それをもちいて行われるようになる。

 映像の歴史家はしばしば、シネマトグラフの登場がそのシークエンスを構成するほんの短い瞬間への注意を促したと論じる。しかしそれいぜんにすでに19世紀の半ばごろより、科学者たちが結晶や泡や水滴の一瞬をラボでも講演会場でも目に見えるようにしようとしていた。これがシネマトグラフ登場後の展開を可能にしたことを忘れてはならない。