動かずに動くアイザック・ニュートン Schaffer, "Isaac Newton’s Time"

  • Simon Schaffer, "Isaac Newton’s Time," British Maritime History Seminars, the Bedford Room, G37, on the ground floor of Senate House.

 サイモン・シャッファーによる講演「アイザック・ニュートンの時間」を聞く。「経度測定委員会 1714–1828」というプロジェクトの一環をなす研究で、ニュートンがいかに経度測定や、その他の実際的意義を持っていた活動に携わっていたかを明らかにするものであった。ニュートンといえば、数学や理論的な物理学の領域で多大な成果をあげていたことで知られている。実践的な経度測定や航海術といった分野と彼を結びつけて考えることは一般的にそう行われていないだろう。ニュートン自身、技芸にもっぱら携わる人々とは自分は異なると言明している。

 しかしニュートンを理論家としてのみとらえることはできない。たとえば彼は造幣局長官の職をつとめ、そこで当時の実践的な問題解決策の調査、審査につねにあたっていた。おおくの証拠があるわけではないが、ニュートンが経度測定の問題に関心を持っていたこともわかっている。そのような問題を解決するために若い技師に性能の高いクロノメーターを鼓舞していたという記録もある。また光学研究にはすぐれた品質のガラスが必要であり、彼はガラス職人と交友をもっていた。

 理論物理学の金字塔とみなされる『プリンキピア』のうちにも、たとえば船体の構造をめぐる議論がみられる(ただしこれはホイヘンスらの流れをくむ流体力学の問題ではある)。また『プリンキピア』の核をなす引力理論は、その裏付けを潮の満ち引きが引力理論によって説明されうるというところに求めていた。この裏付けのためには世界各地での潮の満ち引きの値を知らねばならない。この情報は実際の航海をおこなっている者たちやほかの学者たちから集められた(ニュートンには許容範囲内の誤差という考えはないので、もたらされた値と理論上の要請が厳密に噛み合うよう悪戦苦闘せねばならなかった)。海にでたことがない、というかボートに乗った記録が一度しかないようなニュートンであっても、当時世界全体をおおっていた交易・情報のネットワークを活用しながら、その理論を練っていたのである。さらに潮の満ち引きの問題にくわえて、天文学の観測値、さらには錬金術においてレシピを手に入れるさいには、そうやって得られた情報が本当に信頼のおけるものであったかを精査する必要があった。科学が経験的なデータに基づかなければならないとして、そのデータが信頼できるものであることをいかに保証すればいいのか、という17世紀王立協会が直面していた課題にニュートンもまた向かい合っていたのである。

 では実践家としてのニュートン万歳で終わっていいかといえばそうではない。ニュートンは理論と実践は相互補完的に機能せねばならないと考えていた。経度測定の問題についてもクロノメーターを活用した方法だけでは不十分であり、天文学から与えられる理論的洞察が正確な測定には不可欠であると確信していた。ではニュートンは理論と実践のあいだの関係を正確にはどう捉えていたのか?両者が相互補完的であるという考えは、当時の王立協会においては一般的な考え方だろう。問題はその相互補完のあり方において、彼がいかに独自の見解を抱いていたかである。この点に関してシャッファーの講演はまだ踏みこんでいなかった。これからの課題ということだろう。さらにニュートンは表向きは実践家と距離を取りながら、実際には彼らがもたらす情報や彼らによってもたらされる成果に大いに期待していた。この一見すると矛盾する態度は彼が自己像を築くさいにとった戦略の帰結だろう。ではその戦略とはどのようなものだったのか?さらに戦略といえば、ニュートンは自分は動かずに世界の各地から情報を集めていた。そのときにそうやってもたらされる情報が信頼できるものであり、かつ効率よく情報が集められるようにするために、ニュートンはいかなる工夫を働かせていたのだろうか?先日の読んだ論文ではゲスナーがとっていた戦略が明らかとなっていた。ニュートンに関して同じような洞察を得るためには、たとえば彼が自分の手下のように扱っていた当時の学者たちとの関係をより細かく見ていく必要があるだろう(ニュートンの活動においてハレーが果たした役割はより重視されねばならないとシャッファーは述べていた)。

 講演全体としては、これまで見落とされていた歴史上の側面を、とても印象的なエピソードや史料をもちいて浮かびあがらせていくといういかにもシャッファーらしいスタイルであった。同時に浮かびあがった問題にたいする描像の精度をあげていくためには、さらなる考究の余地を残すという点もいつもの彼である。paradigm definerとしてのシャッファーという話が講演後話題になった。あながち間違った形容ではない。