はしかが指示する社会構造 Suzuki, "Measles and the Spatio-temporal Structure of Modern Japan"

 著者渾身の力作を読む。環境史、デモグラフィー、疾病論といったさまざまな領域の知見を統合して一つの方法論を練りあげ、それを用いて史料から歴史像をたちあげていく技術は読んでいて尊敬の念すら抱かせる水準のものだ。

 歴史家たちは生命活動に深く関与する指標をたくみにもちいて歴史を描いてきた。たとえば誕生・死亡に関する統計、罹病率、身長、ボディマス指数である。この論文は歴史研究に有用な生物的指標を一つ加える。それはなにか。はしかである。

 なぜはしかなのか。はしかの特徴は二つ。一つは人間から人間へ直接飛沫感染すること。もう一つははしかに感染するかしないかは、罹患する人間の体調によらないこと。要するに、はしかの感染の広がりは人間と人間の接触頻度に単純に比例する。この単純な性質ゆえにはしかは疫学において、感染のメカニズムを探るモデルを提供してきた。ではその単純性を過去に接近する手がかりとして利用できないか?はしかはさらにもうひとつの特徴を持っている。それは世界中で見られ、かつきわめて高い頻度で流行するのだ。はしかを歴史研究の指標とできれば、広い地域にわたって長い期間、しかも継続的に過去を観測できるはずである。

 上記のようなはしかの特徴から、それを歴史研究の指標として用いたときの利点は次のように定式化される。まず寿命、身長といった指標があるコミュニティにおける個人の集合の健康状態をあらわすのにたいして、はしかはコミュニティとコミュニティのあいだの関係を指し示す。たとえばあるコミュニティで流行しているはしかが、別のコミュニティにうつるとき、その二つのコミュニティのあいだでは十分な人的移動があることになる。はしかは過去の空間のあり方を指示するのだ(ここから都市圏の拡大とはしかの流行の拡大はかさなると推測される;後述)。しかもはしかの流行頻度の地域ごとの差とその差の解消、および地域ごとに流行する季節がことなるという事実からは、はしかの感染メカニズムがさまざまなファクターに依存しながら特定の時間パターンを刻んでいることがうかがえる。はしかはある地域でのある特定の時間のあり方を示し、そのあり方を規定している要因を明らかにするのだ。ここから著者ははしかはかつての個人間や集団間での関係を指し示す指標であり、しかもその関係は空間と時間の構造のうちに埋めこまれたものであるとする。

 以上のような方法の整備のうえにたって、時代ごとに地域ごとに収集されたはしかによる死亡者数という膨大なデータを読み解くことで、日本におけるかつてのはしか感染構造のあり方、およびその構造を生み出していた歴史状況があきらかにされていく。

 おおくの事実があきらかにされているので、いくつかエッセンスを書きだしておくにとどめよう。まず調査の前段階として江戸時代の日本では江戸や大阪という大規模都市を抱えながらはしかが大流行にいたらなかった理由が考察される。これまでの研究でははしか患者が継続的に現れるためには、免疫を獲得していない人間がコミュニティに一定程度現れる(外からくるかなかで生まれる)必要があるとされていた。そのような新たな感染者候補を継続的に生みだすためには、コミュニティの人口が20万から40万人くらいはいなくてはならないとされた。このようなコミュニティ規模を維持できたからこそ、西洋ははしかをうちに蓄え、それを新大陸にもたらし大きな打撃を与えることができたというわけだ(クロムビー)。ところが江戸や大阪はこれをはるかに超える数の人間がいたのに、江戸時代の日本でははしかは大流行しなかった。なぜか。それは教会という定期的に人が集まる場所が日本にはなかったからではないか。これが著者の仮説(あくまで仮説)である。

 明治以降のはしかの死亡者数をみると、流行が頻発する東京と大阪を中心とする範囲が、時代によって広がっていくことがわかる。都市化による人口増加と、交通手段の発達による都市中心部との人の行き来が盛んになることによって、中心部から徐々にはしかの流行圏が拡大していくのだ。この一般的な洞察に、地域ごとの特殊性をくわえていくことで、各地域がある時点で中心とのあいだにいかなる関係にたっていたかを明らかにすることができる(たとえば高知は孤立している。なぜ?)。

 はしかが国家全体に拡大した原因の一つは、小学校の整備であった。広い地域から子どもが毎日集められて共同で長時間過ごすのだから、感染が広まらないわけがない。このときに興味深いのは夏休みの存在である。感染候補者が少ない地方では、たとえば冬に起こりはじめたはしかの流行は、大規模に広まることはないものの学校を結節点にくすぶり続ける。しかし夏休みにはいって、子どもたちの接触の機会が奪われるとはしかの感染経路絶たれ、死亡者数は減る。よって9月の死亡者数は最低になる。だがその9月になにが起こるか。学校がはじまるのだ。するとまた接触が起こり10月、11月と死亡者数が増える。結果的に人口の少ない地方では夏休みを挟んで7月あたりと11月辺りに二つ死亡者が多い山ができる。ところが都市では事情が異なる。ここでは冬に起きたはしかが、豊富な感染経路をいかしてまたたくまに広がり、夏前に死亡者数がピークを迎える。夏休みに入るころには感染経路はあらかた絶たれており、とくに長期休暇のはじまりと終わりが死亡者数に影響を与えるわけではない。小学校の学事日程という時間構造は、都市ではなく田舎においてはしかとリンクしているというわけである。

 日本におけるはしかの死亡者数の現象は、子どもの出生率の変化と密接に関係していた。はしかは幼いときにかかればかかるほど死ぬ。たとえば2歳以下でかかったりすると危険性が高い。ここで一番上の子どもとそれより下のこどもとのあいだに超えられない壁が生まれる。一番上の子どもが学校にいってはしかに感染してくると、それが下の子どもたちに感染するのだ。そしてえてして下の子どもが死ぬ。この構造がなくなればはしかによる死者は減る。どうしたらなくなるのか。出生率が下がり、家族内における兄弟・姉妹の数が減ればいい。近代の日本で起きたのはまさにこのことであったと考えられる。

 本論文ははしかによる死者数を記録した膨大なデータに意味を与えることに成功している。そのための方法論の構築に知恵がしぼられている。そうして意味づけられたデータからは、はしかの感染メカニズムを規定していたさまざまな条件を読みとることができる。都市化しかり、小学校という感染チェインの結節点しかり、家庭内における兄弟・姉妹数の変動しかりである。さらに本研究ははしかという普遍的な生物的指標を用いることで、他地域との比較研究を強くうながしている。はしかという病気がもつ性質はいつでもどこでも変わらないので、日本での調査で得られた知見を参照点に、他地域での感染メカニズムのあり方をあぶりだしていくことが期待される(たとえばロンドンでは10月に一番はしかによる死者数が少ない)。そうして得られた共通点と相違点からは、それぞれの社会のあり方の違いが透けて見えるだろう。

 最後にこの論考はさらにもうひとつ大きな野心を誘発する。それははしかを指標として用いることで、これまでいかなる研究もあきらかにしてこなかったような、過去の社会の実態をあきらかにできるのではないかというものだ。現在の結論の多くは、はしかの感染実態をすでにあきらかとなっている歴史の実態と付きあわせて意味づけるという段階にとどまっているように思う(もちろんこれにはこれ自体で大きな意義がある。推測されてきた歴史の実態を定量的指標で裏づけるという意味があるからだ)。これを超えて、人口動態、地域社会における小学校の位置づけ、家族形態の変化といった諸点につき、はしかを指標としなければあきらかとならなかったなにかがわからないだろうか。もしわかるなら、そのときこそはしかは(そして医学史は)歴史研究の現場で猛威をふるうだろう。