アリストテレスにおける摂理(の不在) Kraye, "Aristotle's God and the Authenticity of De mundo"

Classical Traditions in Renaissance Philosophy (Variorum Collected Studies)

Classical Traditions in Renaissance Philosophy (Variorum Collected Studies)

  • Jill Kraye, "Aristotle's God and the Authenticity of De mundo: An Early Modern Controversy," Journal of the History of Philosophy 28 (1990): 339–58; repr. Classical Traditions in Renaissance Philosophy (Aldershot: Ashgate, 2002), arcitle XI.

 アリストテレスに帰されている『宇宙論』の真作性をめぐってルネサンス期以降に行われた論争を概観した論文である。アリストテレスの想定する神は不動の動者であり、自分自身のことを考え続け、この世界には関心を持たない存在である。神は世界に関知しない。ヘレニズム期以降の解釈では、このはっきりとした立場はすこし弱められる。不動の動者は天界の運動のことは関知しているだとか、それが関わらないのは月下の個物にたいしてだとか言われるようになる。これらと対照的な見解を提示するのが『宇宙論』だ。そこでは摂理が全世界に行きわたっているとされる。

 この対立ゆえに『宇宙論』はアリストテレスの作品ではないのではないかという疑いが古代からみられた(プロクロス;中世ではマイモニデス)。この疑いが論争の次元にまで高まったのはルネサンス期以降である。摂理の存在を認める『宇宙論』は、キリスト教の教義と親和性が高い。それゆアリストテレス哲学と信仰を調和させようとする者たちは好んで『世界論』を引用した。フィチーノ、ピコ・デラ・ミランドラ、ジャンフランチェスコ・ピコ、ステウコといった名をあげることができる。同時にユリウス・カエサル・スカリゲルやダニエル・ハイシンシウスのように、『宇宙論』の真作性を強く否定する論者もいた。興味深いのはピエール・ガッサンディである。『宇宙論』はアリストテレスが老年に達してからの作品であり、その段階で彼は世界が創造神の手になることを認めるようになったというのだ。

 18世紀に入ると『宇宙論』をアリストテレスの作品とみなす人物はますます減少した。最後にその真作性を主張したCharles Batteuxの立論は歴史的事実を誤って認知しており(この過ちを彼はブルッカーから引き継いでいた)、それゆえ後続の学者たちによってしりぞけられた。19世紀以降は基本的に『宇宙論』は擬作とされ、アリストテレスの神は摂理を行使せず、それどころか天上界にすら関心をしめさないという見解が共有されることになる。